「こどもの吃音症状を悪化させないためにできること」を読んで

最近読んだ本について書きます。
タイトル通り、こどもの吃音支援に対して堅田利明さんが書いた本です。
私は吃音のカウンセラーで成人を対象としており、児童のカウンセリングはしておりません。
しかし、吃音の臨床に於いて、具体的にどのような支援が行われているかは知っておく必要があるので読ませていただきました。

感想を結論から言うと、勉強になることが多く、基本的な考え方が近いと思いました。
私自身はカウンセラーなので、言語聴覚士が具体的にどのような支援をしているのかは詳しくは知りません。(言語聴覚士によっても違うと思います)
クライアントさんからとか、吃音外来に行ったことのあるかたから話を聞いたり、ネットで調べる程度です。
漠然と流暢性形成法や、認知行動療法などを行っているイメージがありました。

しかし、この本に書かれていることは、言葉のトレーニングではなく「自然にどもれるようにすること」です。
吃音を無くすとか、コントロールすることではなく、自然にラクにどもれることを目標にしています。

実は、私は吃音の臨床に少し違和感を覚えていました。
理由は吃音をコントロールする練習をしていくと、本来の自分の話し方から離れていく恐れがあるのでは?と思っていたからです。
私のカウンセリングでは、本来の自分の話し方を取り戻すことを目標にしています。
周りから吃音を指摘されて話し方を工夫するようになり、自分ではない話し方になる。その結果吃音が悪化するケースが多いからです。
また、トレーニングをして音読ではコントロール出来るようになったが、フリートークでは相変わらずどもるというかたもいらっしゃいます。
いずれも、トレーニングをして本来の自分の話し方から遠ざかってしまった例です。
ですから方法は違いますが、本来の自分の話し方やどもりかたに戻していくという考え方は共感するところが多いです。

この本では重要な問題提起がされています。
「吃音症状が出ないことが良い状態であると考えることがそもそも正しいことなのでしょうか。吃音症状がすべての問題の根源であるという考え方は、吃音イコールマイナスなもの、よくないもの、取り除くべきといった捉え方です。」



これは、私の知る限り、吃音臨床に於いて画期的なことではないでしょうか。
吃音の治療をする人、受ける人は、共に吃音をなくすため、つまりよくないものを取り除くことが前提だったからです。
勿論、吃音はマイナスなものです。
しかし、それは誰がいつ決めたのでしょうか?
自分でしょうか?親でしょうか?友達でしょうか?
一度疑ってみてもいいと思います。

大事なのは、吃音は取り除こうとすればするほど悪化する可能性があるということです。

この本では、幼児の吃音は、最初連発から始まり(例外もあります。)その時は本人も気にしていないが、周りから話し方を指摘されると気になってきて、工夫をするようになり、徐々に難発に移行すると書かれています。

私のクライアントさんにも、最初に家族に吃音を注意され、難発になり、なんとか言い換えを駆使しながら成人になったかたもいらっしゃいます。
そのかたのカウンセリングは終結しましたが、苦しい難発からラクな連発に戻る過程がありました。
「今日は盛大にどもれました!ラクになりました。」とLINEが来たこともあります。
そのかたは、今でも徐々に吃音が減ってきています。
その変容の過程に何があったかというと、「吃音って本当によくないものなの?」「別にいいんじゃない」と思えるようになったことです。
この本に提起されていることと同じです。



児童の場合、吃音を指摘してくるのは主に友達だと思います。
また、私のクライアントさんには親に指摘され気になりだしたかたがかなりいらっしゃいます。
いずれも、「このままではいけない。何とか吃音をなくさなければ」と思い、話し方を工夫するようになります。その結果、話す時に苦しくなったり、周りに吃音を理解されず社会的不安が増大します。
この本では、そうならないために、自然な連発を伴いながら、吃音を悪化させないためのの暮らしの支援について書かれています。
具体的には、こどもの親や学校、幼稚園などに対して、まずは正しい吃音の知識を知っていただくことです。
詳しくは、本をお読みになってください。

私が注目するのは、先にも書いたように、周りから吃音を指摘されると、吃音を出さない話しかたを意識し、発話をコントロールしようと様々な試みをする。それは最初はうまくいくが、慣れてくると効果がなくなる。
すると、身体に力を入れ、呼吸を意識し、タイミングを見計らって声を出そうとする。
そして、本格的な難発になっていく。随伴運動も大きくなってくる。
言い換えをするようになり、本心が言えないので自分を責め始める。
この一連の過程です。

私が学んだ吃音カウンセリングでは、「親がこどもの言葉に干渉し、やがて吃音になる」というものでした。
しかし、これは30年前の理論であり、今は否定されています。
遺伝や体質的なものではないか、というのが今の考え方です。
ただ、実際にカウンセリングをしていると、親に言葉の干渉をされてトラウマになった人がかなり多いです。
私のクライアントさんは、ほとんどそうです。
このギャップに私は悩んでいたのですが、この本を読んでスッキリしました。
つまり、吃音の発吃は遺伝や体質によるものが多いが、周辺の関わり方によって悪化する。です。
発吃の時は、その子の自然などもりかた(主に連発)ですが、吃音を周りから指摘されることによって、吃音を出さなくする工夫が生まれ、苦しい難発になっていく。
ということではないでしょうか。
ただし、周囲から指摘されなくても、自分の話し方がおかしいと思い始め隠そうとして難発になることはあるかもしれません。この場合、最初から難発だと本人は思うかもしれません。

では、大人の場合はどうなのでしょうか?
ここからは私の考えですが、親や周りに指摘されたことを、今度は大人になると、自分が自分にしてしまうのです。そこが気づきにくいところです。
自分はこれではいけない、もっとちゃんと話さなければ、と自分に対して課題を与えてしまうのです。

こどもの場合は、親や周りが正しい知識を持って取り組めば、悪化は防げますが、
大人になると厄介です。
自分で取り除いていかないといけません。
そのためにも、成人の吃音者への支援はこどもと同様に重要だと思います。




では、悪化する前に戻す手立てはあるのでしょうか?

そのヒントは、ほとんどの吃音者は一人ではどもらないことにあります。
動物や赤ちゃんに話しかけるときもどもりません。
それは、動物や赤ちゃんは自分のことをジャッジや評価することがないからです。
ありのままの自分で接することが出来るからです。
(独り言でもどもる人がいますが、私の経験上、吃音=マイナスなもの、よくないもの、取り除くべきといった意識が強烈に強い人は、一人で音読の練習をして返ってどもるようになるケースがあります。それ以外のケースがあるとすればそこが遺伝なのかもしれません。)

そして、ありのままの自分を取り戻す有効な方法がマインドフルネスです。
「今、ここ」に集中し、ジャッジをしない。
あるがままを観察する。
この修練によって、言葉への介入を受けたトラウマや、予期不安を抑えて
今を生きる実感が湧いてくる。
ジャッジをしないので、自然にどもっていたラクなどもりかたに戻る。
そして、自然にどもるようになると、吃音が消えていくことも多いです。
大事なのは、評価と課題を自分で自分に与えないことです。



また、この本に「吃音を指摘されて話し方を工夫するようになり」と書いてありますが、
話し方を工夫して本来の自分の話し方やどもりかたと離れてしまうと、
気持ちの上でも自分のことが分からなくなったり、自分の本心が見えなくなったりしてくる可能性があると思っています。
なぜなら、グループカウンセリングでお互いに話し合うときに、吃音者は最初自分の素直な気持ちを言えない人が多いからです。
言葉を工夫するのと同じように、発言の内容も相手からの評価を気にして、本音をいわなかったり、感じたままに言わなかったりしてきたからかもしれません。
または、それが許されなかった環境にあったからかもしれません。

だから、情緒と感情にアプローチするカウンセリングが有効なのです。
情緒と感情と吃音は繋がっているので、感じたことを感じたままにはなしたり、感情が豊かになってくると、吃音が改善されてくることがあります。

この本に書かれている、こどもの吃音がなぜ悪化するのか?が分かると
成人の吃音への支援も見えてきた気がして、読んでよかったと思います。
自然な話し方に戻すと、徐々に吃音が減ってくることがある。
つまり「あるがまま」です。
これは、こどももおとなも同じだと思います。


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