私は以前から馬田さん出演のYouTubeやブログなどで、吃音カウンセラーの馬田さんの存在を知っていました。
SCWのイベントで初めてお会いすることができ、その後ACTのカウンセリングを受けさせていただいております。
なぜカウンセリングを受けたかというと、社会で生きていく為に吃音をどうしても治したかったからです。
吃音さえ治れば不自由なく生きていけるとずっと思っていました。 ただ、それは間違っていました。
大切なのは、自分にとっての価値を見つけることで、吃音が治ったとしても価値を見つけられないと、人生は豊かにならないと教わりました。
また、吃音を隠して生きてきた自分にとっては、いくらどもってもいい場所(カウンセリングの場)がすごく居心地が良いのです。
心を開き全てを話せる場があるのは本当に救われます。
カウンセリングで感じた事を少し記載します↓ カウンセリングを受けるのは初めての経験でしたので、正直最初は馬田さんの言っていることを聞くだけで、本当に吃音が改善されるのかと不安でした。
また、カウンセリングの最後に音読の時間があり、最初はうまく話そうという気持ちが強く、どもってしまうと恥ずかしかったり劣等感を感じたりしました。
そんな私に馬田さんは『この音読の場ではどもっても大丈夫です。むしろどもってください!そしてその自分を観察してください』そう言いました。
本当の自分をさらけ出せたり、どもってもこんなに冷静でいられたのは初めての経験だったので、この感覚で他者と話ができたらすごく楽になるなと思い、そこから少しずつ変わっていったような気がします。
最近はどもってもいいと思えるようになってきていて、以前より遥かに気にならなくなりました。 吃音は治すのではなく、気にしなくなることが完治への道だと思うようになりました。 人と比べたりせず、無理なく自分のできることをやる!これだけで、今はすごく生きやすくなりました。
その後、ついにカウンセリングの終結を迎えることができました。
私のカウンセリング終結とは、吃音の症状が出なくなる事ではなく、吃音という存在がすごく小さくなり、気にならなくなる事でした。
以前は吃音を気にしすぎていて、自分のやるべき事ややりたい事ができずにいましたが、最近は自分の置かれている立場でベストを尽くす事ができていると思います。
また、朝礼や挨拶などで人前で話す事や、人と接する事への恐怖心や予期不安もほとんど無くなりました。
『自信を持て』とよく言いますが、勇気を出し行動を起こす事で自然と自信がついてくるものだと実感できました。
もし、吃音で悩みこの文章を読んでいる方がいたら、馬田さんに連絡をしてみるという行動を起こす事で人生が変わるかもしれません。
吃音の事を誰にも相談できない人や社交不安を抱えている人などは、本当におすすめのカウンセリングです!
きっと馬田さんがあなたの助けになってくれます。 39歳 会社役員 T.T
(T.Tさんは2023年9月にカウンセリングを終結されました。)

私は中学生の頃から難発性の吃音に悩んでおりました。
電話で名乗ることが出来ない、レストランで注文をするのも難しい、
ただし日常会話ではそこまで不自然さは出ず、軽度と言えたのかもしれません。
ただ、軽いからといって悩みが小さかったわけではなく、
「うまく喋れなかった場合に周りから変に思われたらどうしよう」と常に不安と将来に対する悩みを抱えていした。
私にとっては吃音が人生の中で何よりも大きな悩みであり、
やりたいこと、成し遂げたいことを考える時の一番大きな障害でした。

馬田さんとは別の吃音カウンセリングの場で知り合いました。
掛けていただく言葉の全てに深みがあり、ハッとするお話をたくさんしていただき、
そんな馬田さんが独立してオンラインカウンセリングを始められているとのことでしたので、
半年ほどこちらに参加させていただいております。

ACTの概念を理解してモノにしていくのは簡単ではないですが、
グループカウンセリングですので自分のことだけでなく他の参加者の方の考えを聞きながら理解を深めることもできます。
吃音改善には(全く効果のない怪しいものを含めて)様々なアプローチがありますが、
ACTという認知行動療法は私に合っているようで、
理解が深まるごとに仕事や私生活などの実生活にも役立っていると感じます。

私は少々完璧主義なところがあって、周りの目を気にして考え込みやすい性格です。
それ故に余裕がなくなり周りにきつくあたることもあり、
今から思えば少し「イヤな奴」だったかもしれません。
ACTにより自分の気持ちが柔軟になり、余裕が生まれてすごく楽になりました。
無理やり性格を矯正するのではなく、性格を見つめ直して「それで良い」と受け入れ、
認知のズレ(勘違い)を認識し捉われないようにするというイメージです。
これは吃音には関係ないように思えますが、
実は吃音の原因はそういった認知のズレではないかと思います。
一見遠回りに見えるこのアプローチによって、吃音という大きな悩みが徐々に小さくなり、吃音の程度も一層軽くなりました。

とはいえ私もまだまだ学び続けたい思いがあり、
またグループカウンセリングで他の方が以前の私のようにハッと気付く様子を期待してサポートするのも自分の喜びに繋がるので、
これからも参加し続けようと思います。

興味を持たれた方、是非一緒にカウンセリングの場でお話ししませんか?

会社員 R


(T.Tさんは2023年9月にカウンセリングを終結されました。)

マインドフルネス。

吃音は、過去の嫌な記憶を反芻し、未来の不安を妄想することで、悪化するように思います。
大切なのは、今ここ。今考えていること、感じていること、やっていることに集中する。
今目の前にいる相手をしっかり見る。
この会では、その練習、実践ができます。

グループカウンセリング。

吃音への囚われがある自分から脱却するには、特に行動を起こすことが必要だと思っています。

その意味で、グループカウンセリングで仲間がいることは大きいです。

私は、カウンセリングの振り返りをアウトプットし、日常で行動していくことも宣言するようにしています。これは、カウンセラー以外の仲間がいるからこそ可能です。結果的に自分の変化が加速するように感じます。

初めて参加してから2ヶ月ほど経ちました。
じわりじわりと、自分が変化していくのを感じます。
もう少し、仲間の変容も意識できるとなおいいかなと思います。

馬田さんはじめ、メンバーの皆さんに感謝です。

教職員 Y・S

まず、グループカウンセリングを受け始めて驚いたのは、馬田さんがおっしゃられている吃音の改善のプロセスと海外の吃音YouTuberが発信していた吃音の改善プロセスが同じだったことです。馬田さんのカウンセリングを受け始める2年前に、海外の吃音YouTuberのチャンネルにたどり着いて、試聴していたのですが、そのときは吃音の改善プロセスがしっくりこず….馬田さんのカウンセリングを受けて、吃音の改善プロセスが腑に落ちました。

私自身は元から内観やコーチングなどを他所でずっと実践してきて、吃音に対する予期不安がゼロの状態で馬田さんのカウンセリングに参加しました。カウンセリングを受けていて、一番感じていたのが、カウンセリングの時間がとても楽しいということです。

・文章をみて感じたことを共有すること

・他の方の話を聞くこと

・自分の吃音を観察すること

どれも心から楽しいと思える内容です。

日頃から忙しくしている身のため、カウンセリング中に実践することは、私にとっての日常とは対局の位置にあります。言うなれば、カウンセリングは感性を育むのに対して、私の仕事は頭を使うことがメインですので…全く真逆のことを実践するカウンセリングの時間が人生を豊かにするための時間になっていると実感します。
塾経営 SK

結論から話すと、今、吃音に困っている方、吃音でなくても生き方に困っている方、思考習慣を変えたい方は是非馬田さんのカウンセリングを受けて頂きたいです。
吃音じゃない方にもおすすめする理由は、人それぞれ悩みは違うし吃音だけが悩みではない、と僕自身が気づけたからです。何かで悩んでいる全ての方におすすめできます。

私は幼少期から吃音があります。
初めは連発→徐々に難発になり、どんどん話すことが怖くなっていきました。吃音が引き金になり、社会不安障害も併発しています。
馬田さんのカウンセリングを受けたきっかけは、「365日頭の中が吃音だらけの日常から抜け出したい。もっと他に大切なことに気づきたい」と思ったからです。僕はカウンセリングを通じて、考えるよりも感じることの大切さ、今を生きることの大切さ、本を読む大切さを学びました。
物事は捉え方次第でこんなにも変わるんだなと痛感しました。
やっと吃音が自分の一部として認めることが出来ているような気がします。

先日友人の結婚式で乾杯のスピーチをしました。不安も大きかったですが、少しでもやってみたい!という気持ちがあったので引き受けました。以前の自分であれば迷わず断っていたと思います。
当日のスピーチは何度か言葉が出なくなる場面も見られましたが、自分が思ってたよりも、スムーズに終える事が出来ました。スピーチを終えてからの1番の気づきとしては、想像してたよりもスムーズに話せたとしても、自分に自信を持つということはあまり無かったです。勿論、無事に終えてホッとしたり、嬉しい気持ちはありました。ですが、吃る吃らないの結果よりも、不安がありながらも挑戦する事が大切だと実感しました。

僕の最終目標は、吃る吃らないに執着しない、吃音がどうでも良いと思えることです。
これからも焦らず、努力や行動を怠らず今を生きていきたいです。

カメラマン N.S
(NSさんは2023年㋅にカウンセリング終結となりました。)



私自身は物心ついた時からの吃音持ちです。難発、連発ともに症状はありますが、主に難発です。
初対面の場、発表の場、評価される場等、緊張がのしかかる場面では吃音がさらに酷くなります。これまでは言い換え等でその場を何とかやり過ごしてきた感じでした。
このまま一生吃音を見て見ぬふりをするか、
それとも一度は向き合うべきかと真剣に考え始めたことがカウンセリングを受けるきっかけとなりました。
カウンセラーの馬田さんとの出会いはSNSでした。これまでに、吃音関連の教室には
一度も関りがなかった私ですが、何かピンとくるものがあったのでしょう。
吃音というよりもこれからの人生をもっと生きやすくするヒントが得られるのでは、と感じた
ことが大きかったと思います。
カウンセリングでは、教材や様々な課題を通じて、「感じる!」ということを大切にします。
また「意識の向け方」にも注視します。言葉で表現するのは難しいのですが
、凝り固まった吃音脳によるしがらみから解放するといったところでしょうか。
これが中々簡単ではありません。現在は、これらのことがようやく自分の中で腑に落ち、
自分なりの今後の方向性が見えてきたところです。
ここに至るまでは、カウンセラーはもちろんのことグループのメンバーとの関りから受ける刺激が大切であったと感じます。
まだまだカウンセリング中の身ではありますが、今後良い方向に向かって行くのではないかという自信はあります。

教員 K


馬田さんと出会ったのは、Facebookのグループでした。

私は、物心ついた時から49歳の今までずっと吃音に悩まされ続けてきました。

主にはじめの言葉が出ない、難発の症状で、途中でつかえることもしばしばです。 

これまで数ある吃音関連の教室に通いました。

ことばの教室に代表される吃音症状に着目し、話し方を変える治療法、過去の吃音の悪い記憶を無くそうとするメンタルリハーサル法、催眠療法、直すことを諦め、吃音といかに付き合うかを皆んなで考えるセルフグループにも行きました。

どれも私の吃音の問題の解決にはなりませんでした。

馬田さんの吃音改善に対するアプローチは今までのものとは明らかに違いました。

今まで押し殺してきた感情意欲を大切にし、自分らしさを取り戻しつつ改善していく手法で、今まで無縁だった芸術との触れ合いもカリキュラムに含まれ、初めは全く響かなかった文章がだんだんと自分事として捉えられるようになり、驚いています。

音読を通じて、吃音症状が出ている時の自分が普段とどう違うのか、人間の自然治癒能力に着目したカウンセリングで徐々に自分の変化に気付き、毎回のカウンセリングが楽しみです。

カウンセラーの馬田さんはとても純粋な方でいつも私の話を傾聴してくださいますし、お話には温かみがあり、いつも癒されています。

また、馬田さんのカウンセリングを受けるまでは、吃音が自分の人生の大半を占めており、自己肯定感が低く、吃音の自分を憎んでいました。

カウンセリングを受けるに従って、吃音症状が改善されるだけでなく、今まで吃音さえ治れば自分の人生薔薇色だと思っていたのが、そうでない事に気づきました。他に大事なことはたくさんある。

吃音は自分の人生のほんの一部と今なら思えます。自責してきた今までの自分に心から謝罪すると共に、気づかせてくれた馬田さんには感謝しかありません。

これからも吃音だけでなく、人生に大切ないろんなことを楽しみながら、学んでいきたいです。

吃音で悩んでいるあらゆる方に馬田さんのカウンセリングを受けられてみることをお勧めします。

49歳会社員 NT
(NTさんは2023年8月カウンセリング終結となりました。)

吃音でばかり悩んでいたときの自分は視野が狭く、考え方を変える勇気が全くありませんでした。そんな私でしたが、馬田さんのカウンセリングを受けて吃音に対して違う見方ができるようになりました。

■吃音者=失敗者ではない。吃音者であっても吃音をみるのではなく、思いやりを持ってその人そのものを見るようになった。

■吃音だから○○なんだ。と考えることが減った。たまに吃音を理由にしている自分に気づくと、本当はそうではないかもしれない。という考え方もするようになった。

■仕事中、道で商品を販売する時に大きな声で吃った。

「あっ!吃ってしまった。」と思ったあと「でもおかげで人が振り向いてくれた。」と嬉しさも感じた。

吃ったことで人の注意をひくのは恥ずかしい嫌なことだったのに、自分が吃ったことで売り上げに繋がるかもしれないとポジティブな見方に変えられた体験だった。

■吃音で良かったことを考えるクセがついた。例えば、人の悩みに深く共感できること。吃音があったからこそ出会えた人たちのおかげで今楽しく生きてること。そんな自分が好きであること。

吃音そのものの改善については

ここ数ヶ月仕事では吃音の頻度が少ない、気にすることが減った。

仕事中は吃音を気にするより、周りの次の動きを想像し、気がきくように動くことが増えた。

そのせいか、仕事場の人に気がききすぎて怖い。と言われるようになった。笑 

やっぱり人のために尽くすような気持ちはいいんですね。

思いやりの気持ちが吃音が出る幕を減らしてるんですかね。

楽しく生きているけど吃った時は恥ずかしいとか、出来たら吃りたくないという気持ちはまだまだある。

でも吃ろうが吃らまいが、相手は普通。

人によってはびっくりするかもしれないけど、吃りを過剰に気にしているのは自分自身かもしれない。

周りの友達や仕事場の人は、ありのままの私を好いてくれ、頼りにしてくれているのだと思う。

馬田さんはその人に合った方法を選択し、しっかりとクライアントを前向きな方向に導いてくれる方だと思います。

今現在、吃音が人生の中心だったり、吃音がなければと願う方が馬田さんに出会い、一人でも多くの方が救われることを願っています。

本橋菜々

馬田さんのカウンセリングは温かく柔らかなイメージです。それまで、自分の中にあるものをさらけ出しても大丈夫と思える安心感のある方だと思います。

特に印象に残っているのは、「誰もが、そこに存在しているだけで価値がある」という話をしていただいたことです。

何か失敗しても、できないことがあっても、そこにその人が居てくれることが大切だと思っていること。そして、それは相手だけでなく自分にも当てはまること。

このお話を聴いたときに、私はとても楽になりました。

思うようにいかなかった時も、落ち込んだ時も「こんな私も人間らしくてありだな」と思えるようになったのは、馬田さんのおかげだと思っています。

吃音そのものだけでなく、日々の生活の中で楽しいと感じる場面が増える手助けをしていただきました。

会社員 SH

私は物心つく頃から吃音に悩んでいました。
吃音でまわりにひどいことを言われ、自分は普通ではない、普通とはちゃんと喋れることなんだと決めつけていました。
最初は連発でしたが、どもってはいけないという気持ちがとても強く、徐々に難発になっていきました。

それでも、学生の頃は言い換え等で誤魔化し、何とか乗り切っていました。
言い換えノートを作り、常に持ち歩いていたほどです。

しかし、社会に出てからは対処出来ない場面が多くなり、吃音の事を伝えても理解されず、理不尽に怒られる事が重なり、ストレスがかなり溜まっていました。
言語聴覚士にかかったりもしましたが、改善は見られませんでした。

最初に吃音に対する考え方が変わってきたのはある映画を観たことがきっかけです。
自分の状況と重なるシーンが多く、感情移入して何度も見返しました。

そしてその映画を観て、「普通じゃなくてもいいんだ、みんな違ってていいんだ」と少しづつ思えるようになり、吃音も個性だと認められるようになってきました。

しかし、職場での吃音への理解がなかったため、プレッシャーをかけられ、、電話で言葉が出なくなり、パニック発作を起こしました。

そして一年程前、吃音が原因で、退職を余儀なくされました。自分が希望していた会社だった為、余計に精神的ダメージが大きく、酷く病んでしまいました。

これがきっかけで、「吃音の事を相談出来る人が居ないのか。」とネットで探していた時、偶然インスタグラムで見つけたのが吃音カウンセラーの馬田さんでした。

馬田さんは、自身が吃音者であり、症状や、辛さも良くわかってくださるので、それだけで吃音者の私にとっては話していてとても心強いですし、励みになっています。
当時は自己肯定感がとても低く、話すことに恐怖もあったので、恐怖感を減らすワークや、物事のとらえ方を自由にしたり、自己肯定感を上げるカウンセリングを行っていただきました。
それにより、自分には吃音があったから様々な問題があると思っていましたが、それは吃音のせいではないと気づいていきました。
そのころ、あるテレビ番組で障害のあるピアニストの特集を放送していました。
そのピアニストは障害で指の動きに制限があるのですが、それを「ギフト」だと言っていました。
早速コンサートに行き、生で演奏を聴いて音が身体の中に入ってくるような感動があり、心の中の変化を感じ、
以前映画を観たときのように、吃音でもいいんだ、普通じゃなくてもいいんだと思えるようになりました。
カウンセリングを受けたから、この変化があったのかどうかは分かりませんが、この時期に大きな変化があったのは事実です。
そしてそのころから、吃音を積極的にカミングアウトするようになりました。
カミングアウトすると共感してくれる友達と、離れていく友達がいました。
今まで分かりませんでしたが、吃音があったからこそ、誰が本当の友達か分かって良かったと思っています。

今の吃音の状況は、難発から連発になってきています。これは、どもってもいいと思い始めたからです。
そしてどもっても今は精神的なダメージが全くありません。

吃音では悩まなくなったので、カウンセリングは終結となりました。

これからは、グループカウンセリング等を通して、少しづつカウンセリングを学び、将来は今までの経験を生かしてカウンセラーを目指そうと思っています。
会社員 YY


僕は馬田さんのことを吃音改善のために始めたTwitterアカウントで知りました。

馬田さんは、日々吃音改善に役立つ知識や考え方をTwitterで発信されているのですが、それを見て僕は「この人のカウンセリングを受けてみたらなにか変わるかも」と直感的に感じました。

すぐにDMからカウンセリングの申込みをさせていただきカウンセリングをしていただくことになりました。

カウンセリングは、まず吃音矯正の考え方の説明から始まり、文章の黙読をして感じたことを話し合う、音読して吃音の観察をする。という形で進んでいきます。

どもっても良い場所で音読をするという体験はここでしか味わうことができず、新しい気付きを与えてくれます。僕はどもっている時に呼吸が浅くなる、過去の記憶が無意識的にフラッシュバックする、肩に力が入る。という3つの気づきを得る事ができました。この3つと向き合い試行錯誤を重ねていけば、良い方向に向かうのではないかと考えています。

カウンセリングを受ける前と後での明確な違いは吃音に対しての考え方です。今までは「恨めしい物」「邪魔な物」と考えていましたが。今は、「自分の一部」と向き合うことができるようになりました。

カウンセリングにより、吃音が改善したと言うにはまだ尚早ですが、良い方向に向かっていると断言する事はできます。
大学生 TS

馬田 裕次さん推薦文

本当に物事を深く考え続けていて、なおかつ人間の尊厳を知る人というのは、偉そうに振る舞わないものだ。

自ずと謙虚になり、敢えて前に出なくても、付き合っていくとじわじわとその人の奥深さと知見と人間性が伝わり、やがて敬愛の念が湧く。

そして自分の強さも弱さも知っていて、他人の強さ弱さも許容しているから、態度に温かみがあるし、自分にちょっとした弱点があっても、照れ笑いして話せる。ああ、同じ人間なんだなぁと、さらに親しみが湧く。

前置きが長くなりましたが、馬田 裕次さんは、まさにそういう人です。

一見控えめな印象ですが、柔らかな笑顔と語り口が魅力的で、実は芯があり深い。体験に根ざしているけれど、幅広い知識と人間理解に基づいた話を訥々とされるので、話に引き込まれる。実は能弁。

そしてもちろん聞き上手。気がつくとあれこれ話したくなっている自分を見出します。それは多分スキルよりも、この方の持つ人間愛なのでしょうね。そして人の心の営みに対する、内なる好奇心。飽くなき探究心。

私も人の心理をテーマに仕事をしてきましたが、馬田氏とは分野もアプローチも違う。でも話していて、「それは面白い。吃音の方にも役立ちそうです!」となることが多い。意外と可愛い(失礼!)つぶらな瞳をキラキラ✨させて。

そんな時、「この方は常に日々の事象から必要な事を発見して、ご自分のカウンセリングを深めているのだなぁ!」と感心するのです。

かように私が敬愛する馬田氏のカウンセリング、大推薦します!

柔らかな人間的魅力と独特なユーモアに、あなたも安心して、抱えてきた思いを受け止められ、語れることでしょう。

公認心理師

N.Y

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まだ私がカウンセリングを学び始めた頃です。あるベテランカウンセラーからこんなことを聞いたことがあります。

「カウンセラーという職業には向き不向きがあって、生まれもっての感性を持ったアドバンテージの高い人が相応しい…」と。

私は現在、数多くのカウンセラーを知っていますが、馬田さんこそが類い稀な感性の高いカウンセラーだとつくづく思うのです。

それは単に努力や経験という次元では成し得ない、既に才能を持ち合わせ、成るべくして成った運命の先に今の姿があるのではないでしょうか。

それらを裏付ける理由は、若い頃からアートや音楽を通じて感性が磨かれ、人間そのものへの深い興味から宗教学を学び、心の目を開く境地に達しているからです。

人を癒す力を持っている人は友だちや知人の中にもいるでしょう。

しかし、心底、感性豊かに親身になって寄り添ってくれるカウンセラーは馬田さんの他に私は出会ったことがありません。

私は馬田カウンセラーをリスペクトすると同時にその稀有な才能に強くジェラシーを覚えるのです。

障がい者アトリエ アートディレクター

産業カウンセラー

佐藤 一郎