「書痙」に吃音改善のヒントがある。

書痙とは。

皆さんは「書痙」って知ってますか?
字を書こうとするときに、手が震えミミズのようになってしまったり、もう一方の手を添えないと字が書けなくなってしまう症状のことです。
「ジストニア」という、筋肉が異常に緊張してしまう病気があり、その中でよく知られているのが「眼瞼けいれん」「痙性斜頸」そして「書痙」です。
よく野球で球が投げられなくなってしまう「イップス」も、一部はジストニアだと言われています。
そして、ジストニアは「おまかせモードの運動」でおきるそうです。「眼瞼けいれん」は、まぶたの緊張でおきますが、普通はまぶたの運動を意識しません。
同じように「書痙」も、字を書くときに、指をどのように曲げて、、とは意識しません。このように、ジストニアは「おまかせモード」の時におきます。
ジストニアとは?代表的な症状や診断、治療法について徹底解説より。
実は、この「おまかせモード」は「マインドフルネス」の対極にあるものです。マインドフルネスでは、このようは「おまかせモード」のことを「自動操縦状態」と言い、そこから脱出する一つの方法でもあります。

私はカウンセリングを学んだ時に、書痙についての話を聞いて、これは吃音と似ているなと思いました。
書痙の原因はまだはっきりと分かっていませんが、書痙のかたは脳のドーパミンが過剰に出て筋肉が異常に緊張するそうで、そこも吃音と共通しています。ただ、心理的要因も大きいと言われていますので、このブログでは、心理的側面から記事を書いていきます。

心理的要因の一つとして取り上げられるのは、極度の対人緊張。他人を意識するあまり、緊張が過度に高まって起こる対人恐怖の症状です。
治療法としては、抗不安薬を使った薬物療法、認知行動療法、森田療法などが用いられるようです。

書痙になりやすい人。

私が注目したのは、書痙になりやすいタイプです。
真面目な人。人の目が気になる人。字を書くことに対して重要視している人。
吃音者も真面目な人が多いですよね。それと人の目も気にします。どちらかと言うと自分軸で生きている人より他人軸の人のほうが多いと感じます。そして、実は、話すことが好きな人が多いです。

通常、書痙でない人は、「見られていることなんて気にしたことがない。」「字を書くことなんてなんてことない」「必要だから書いている」だから字を書くことに何の抵抗もありません。
ところが、書痙の人の場合、「人が見ていると字を書きずらい」「人がいない方が書きやすい」ということになります。

書痙の解決策。

こちらのサイトに、その解決策が書かれていました。(あくまでそのサイトの考え方です。)
「何がそんなに自分を締め付けているかを知ることで、身体の誤動作は解決します。
ある意味、書痙は自分の中の叫びです。あなたの中にもう一人の自分がいて、その自分が何かを訴えている結果として書痙になっているのです。その自分の叫びに耳を傾けて解決する必要があります。」

母校のカウンセラーの先生が仰っていましたが、書痙になる人は字のうまい人が多いのだそうです。
字がうまいので、それが「うまく書かねばならない」という思考になり、「書けなかったらどうしよう」となり書けなくなってしまう。
吃音も話がうまい下手は別として、話せて当たり前の世の中に生きている訳ですから「ちゃんと話さなければならない」「話せなかったらどうしよう」と思うのは仕方ないですね。

カウンセリングの自己理論。

ところでカウンセリングには自己理論というものがあります。
それは、現実の自分(本音や気持ちの下の気持ち、潜在意識など)観念我(こうであるべき自分)がなるべく一致しているほうがいいという考え方です。
この一致している部分が大きいといいのですが、現実我と観念我が離れてしまっていると、その離れている分が悩みや問題、病状になると言われています。
例えば、本当は人と話すのが好きではなく、一人で静かにしているのが好きな人が明るく社交的でなければだめなんだ、と思い込んでいると、「一致」できなくなってしまいます。この場合に大切なのは自分の本音を知ることで、「本当は一人が好きなんだ」ということがちゃんと自覚出来ればいいわけです。
これはさきほどの書痙の解決策に似ていませんか?
自分の中の叫びという部分です。
叫びとまではいかなくても、自分の心の底が何を訴えているか?です。

私は吃音も同じではないかと考えています。(もちろんそれだけではありませんが)
○○でなくてはいけない。○○であるべきだ。という思考。
これはある意味、外部からの攻撃を恐れて、鎧を着ている状態ではないでしょうか。「ちゃんと流暢に話さなければならない。すらすらとしゃべるべきだ。」という思考が強すぎると書痙と同じで、頭では分かっていても身体が言うことをきかない状態になってしまいます。

この思考を変えていくのにはいくつかの方法があります。
鎧を着て硬くなっている心を柔らかくしなやかにする方法です。
思考が硬いと、「どもったらどうしよう」しか考えが浮かばないのですが、思考が柔らかいと 、例えば発表でうまく話せそうになかったら、中身で勝負しよう!とか
うまく話せないと最初に断ろう。とか、いくつかの手段が浮かんできます。

また思考が硬い理由の一つに1か100かでその中間がないことがあります。
吃音者ならどもったかどもらなかったかしかなく、ほとんどの言葉は言えていたのに少しどもっただけで、全部どもったかのように落ち込んでしまう特徴があります。この場合も、しなやかな心があれば「少しどもったけど、伝わったからいいや」と思えることができます。



別のアプローチとしては、他の記事にも書いているように「身体の声を聴く」ということです。
さきほどの観念我は主に頭に、現実我は身体に現れると書きました。
どもった時の身体の異変に耳を傾けることによって、自分の本当の気持ちにアクセスする方法です。
これは主にフォーカシングやマインドフルネスで行われます。
また、身体感覚に注意を向けることは、さきほどの「おまかせモードの運動」や「自動操縦状態」から抜け出すことに繋がります。

吃音と書痙について書いてきましたが、いかがだったでしょうか。吃音だけをみるよりも発見が多いような気がします。

最後にさきほどの書痙のサイトの文章に吃音を当てはめてみます。
「何がそんなに自分を締め付けているかを知ることで、身体の誤動作は解決します。ある意味、吃音は自分の中の叫びです。あなたの中にもう一人の自分がいて、その自分が何かを訴えている結果として吃音になっているのです。その自分の叫びに耳を傾けて解決する必要があります。」

吃音を心理的なアプローチから改善を目指すなら、これはとても重要なことだと思います。




 


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