アドラー心理学と吃音

皆さん「嫌われる勇気」という本を読んだことはありますか?
アドラー心理学で有名な岸見一郎さんのベストセラーです。
心理学の中では「劇薬」と言われるアドラー心理学ですが、あまり吃音の治療などでは耳にしませんね。
今回は、アドラー心理学が吃音の改善に有効かどうか考えてみたいと思います。
なお、「嫌われる勇気」の中には、吃音の話も少し出てきます。

吃音の一番の苦しいところは「人からどう思われているか?」を気にすることですね。
我々は吃音の症状自体で悩んでいるというよりは、二次的な人間関係で悩んでいるはずです。

人は誰でも自分の価値観(色眼鏡)でものを見ています。
従って物事を正確に客観視することは出来ません。
その人特有の見方や価値観を「私的論理」(プライベートロジック)と
アドラー心理学では言います。
そしてその私的論理の中で非建設的なものや極端に作用するものを
「ベイシックミステイクス」と言います。
主なベイシックミステイクスは次の6つです。

決めつけ  事実は異なるのに、決めつけてしまうこと。
例)友達が少し冷たい態度をとっただけで、私は嫌われていると決め付け、思い込んでしまうこと。

誇張  過度に強調 誇張すること
例)友達が少し冷たい態度をとっただけで、あの人は冷たい人だと誇張して捉えてしまうこと。

一般化 ある一つのことを、他にも当てはめ、普遍的な事実と捉えてしまうこと。
例)一回失敗しただけなのに、自分はいつも失敗する、常に失敗する、他も失敗すると受け止めてしまうこと。

単純化 100か0の発想。その中間を認めないか気づかないこと。
例)東京大学以外にも大学があるが、それ以外は大学ではないと思い込んでしまうこと。

見落とし ある部分だけを見てしまい、その他の部分を見落としてしまうこと。
例)自分の意見に賛成する人もいるにもかかわらず、その人の存在に気づかないこと。

誤った価値観 その人が持っている歪んだ価値観や先入観で物事を捉えること。
例)日本人は西欧人よりも劣っていると捉えること。

以上、この6つのベイシックミステイクスが人生を左右すると言われています。

これは吃音者あるあるですね!
少し吃っただけでとても吃ったように捉えてしまったり。
周りが気にしていないのに、自分勝手に落ち込んだり、、。

そしてアドラー心理学ではこれらの対処方も教えています。

①それホント?と疑ってみる。解釈と事実の混同が原因だから。

②誰がそう決めた?と問いかける。そう!自分で勝手に決めたことに気づきます。

③そのメリットを考える。 自分のベイシックミステイクスにどの様なメリットがあるか考える。

物事を冷静に分析し、過去を後悔したり、未来を不安視するのではなく
「今」出来ることに集中することをアドラーは提唱しています。

また、これとは別に「課題の分離」という考え方があります。
これは、問題や課題を目の前にして、この課題の最終的に責任を負うのは誰かを考え
課題が誰に属しているのかを仕分けていくことです。
そして、誰の課題なのか明確になったら、他者の課題には介入しないようにします。
例えば、自分の子供が受験生で全然勉強していないとして、親として思い悩んでいるとしたら、
勉強しないことによる将来の責任は子供にあるわけですから、子供の課題となります。
これは無責任というわけではなく、親の課題は親として出来るだけサポートして、あとは本人の意思に任せることです。

これを吃音に当てはめると、
どもったことにより、周りがどう思うか?は周りの課題であり、自分にはコントロール出来ない。
責任を負うこともない。
自分は自分のやるべき課題にしっかりと取り組んでいくこと、となります。
なかなかそうすんなり割り切れるものではありませんが、課題に直面した時に「誰の課題か?」と考えてみるのはいいことだと思います。



それと、私はアドラー心理学のなかでこれが一番好きな考え方なのですが、「共同体感覚」というものがあります。
これは、仏教や最新のカウンセリングと言われている「トランスパーソナル心理学」にも共通しています。
アドラーは、すべての悩みは人間関係にあると説いています。
そしてそのゴールとなる考え方が共同体感覚です。
アドラーの言う共同体とは、家庭や学校、職場、地域社会だけでなく、国や人類、時間軸においては過去か未来、さらに動物や植物、無生物までも含まれるとしています。
そして、その最小単位は、私とあなた、です。
その最小単位を起点として、自己への執着を他者への関心に切り替えていくのです。


吃音はある意味、自己への執着です。
どもっているときは、ほぼ他者への関心はなく、「自分がどう思われるか?」のみに執着しています。
その執着をなるべく小さくしていく、そこに吃音改善の秘訣があります。
私が、話すトレーニングをおすすめしないのは、練習することによりこの執着が益々強くなる場合があるからです。
カウンセリングの基本は人の話を聴くこと。
また、グループカウンセリングもお互いに相手の話を聴くことがとても大事になります。
この話を聴く行為が、自己への執着を少なくするとても良い方法なのですね。
真剣に相手の話を聴くときは、自分というものへの執着がないからです。
しかし、ほとんどの吃音者はグループカウンセリングにおいても、最初は自分がどもるかどうかだけに執着しています。
今まで、吃音が改善してきかたをみると、周りに関心を持つようになる、
つまり共同体感覚が身についてくるかたがほとんどです。
逆に言うと、この部分を無視して、吃音を言葉だけの問題としてしまったなら、
仮に吃音が治ったとしても、別の問題が出てくるのではないか?とさえ思っています。
そういう意味では、必要なのは話すトレーニングではなく、心のトレーニングだと感じます。

いかがでしたでしょうか。アドラー心理学は、少し厳しいかもしれませんが、これを受け入れた時は世界が変わります。
興味を持たれたかたは、書籍など読まれてみてはいかがでしょうか?

アドラー心理学と吃音” に対して2件のコメントがあります。

  1. 加瀬 重穂 より:

    有難うございます。眼が開かれたような思いです。

    1. stardust より:

      こちらこそありがとうございます!
      コメントいただきとても嬉しいです。
      眼が開かれる感じは大事ですよね。

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