吃音における「同治と対治」の違い

以前こちらの投稿で、親鸞聖人の教えから吃音について書きましたが、最近この概念は非常に大切なことだと感じているので、もう一度、今の私の視点から書きます。

【同治と対治】 とは、浄土真宗の開祖、親鸞聖人の教えです。
例えば、対治とは病気は悪いものだとします。悪い部分を切ったり、消したりして治す方法。病気を戦う相手、悪者とみなします。具体的には、病気にかかったら薬を飲んで撃退する。悪いところを手術で切るなどが対治の治し方です。主に西洋医学の考えかたですね。
それに対して、 同治とは、戦うのではなく、認めて治す方法。風邪に対して薬を飲んで熱を下げるより、適度な熱で自然に症状が治まるのを待つような方法です。こちらは東洋医学の治し方だと思います。
心理学的に言えば、落ち込んでいる人に「もっと頑張れ」と励ますのが、対治。
「今落ち込んでるんだね」と共感するのが、同治と言えます。

それでは、これを吃音の臨床に例えてみましょう。
対治とは吃音に対して、悪者と見立て、悪い部分を矯正したり、練習して治す方法。吃音を戦う相手、悪者とみなします。具体的には、発話のトレーニングをするのが対治の治し方。主に西洋医学の治し方。トレーニングをするというのは、今の話し方が「悪いものだ」という前提あるからです。
それに対して、 同治とは、吃音と戦うのではなく、あるがままに認める方法。具体的には、どもってもよい、それも自分だと思える。
または、どもっているときの感覚や状況を受け入れる、「自分はだめなんだ」という思考も受け入れるのが同治と言えます。

臨床的には、直接法(流暢性形成法や吃音緩和法)が対治。
間接法(カウンセリング)は同治と言えます。(メンタルリハーサル法はちょっと微妙だと思います。)

私は、我流で直接法の練習を勧めないのは、吃音を許さない気持ちが根底にあると思うからです。
成人の吃音の場合、直接法だけでは効果は限定的だということは分かっています。

さて、今吃音の臨床で注目されている「マインドフルネス」と「セルフコンパッション」はどうでしょうか?
これは間違いなく「同治」ですね。
「マインドフルネス」は、五感で感じたものを「ジャッジしない」「良し悪しで判断しない」こと。つまり、どもることに対して良し悪しの判断をしないことです。
「セルフコンパッション」は、自分への慈しみですから、「どもっても自分は尊い存在」だと思えることです。

マインドフルネスの考え方は「意識を開発する上で大切なのは、注意を集中し、ものごとをありのままに見るという態度なのです。何かを変えなければならないというわけではありません。
治癒力を開発する上で必要なのは、事態を切り離すのではなく、まるごと受け入れるという態度なのです。いずれの場合も強制することは出来ません。
これは自分自身に眠りを矯正することが出来ないのと同じです。自分が眠れるコンディションに持っていって、初めて眠ることが出来るのです。
リラックスする場合でも同じことが言えます。意思の力で強制したところで、うまくいくはずがありません。リラックスするように必死で言い聞かせても、緊張感と欲求不満を高めるだけで逆効果になってしまいます。」(ジョン・カバットジン マインドフルネスストレス低減法)

どもってもどもらなくても「まるごと受け入れる」という態度。
そして、眠れるコンディションに持っていくことは、どもらないコンディションに持っていくことと同じです。
独りではどもらないのですから、そのときはそのコンディションだと言えます。問題はそれを維持できるかどうかです。
基本的には発話機能の問題ではありません。

吃音は確かに遺伝や体質の影響があり、脳の信号の伝達がうまくいかないために、発話のタイミングが合わないところがあるようです。
しかし、脳には「可塑性」があり、後天的に回復する能力があります。
吃音の研究ではまだかもしれませんが、マインドフルネスの習得により、前頭葉の皮質が厚くなったり、遺伝子にも変化があることが分かっています。
つまり、自分自身にある「自然治癒力」を活性化させる力があるのです。

では「セルフコンパッション」ではどうでしょうか?
自分自身の評価を一切やめることである。善、悪のレッテル貼りをするのをやめ、心を開いて、ありのままの自分を受け入れることである。
親友がーあるいはまったく別の人であってもー同じ問題で悩んでいるとしたら、あなたはその人にどう接するだろう?その場合と同じ優しさ、気遣い、思いやりを自分自身に向けるのである。ところが、私たちはたいてい、他の誰よりもじぶんに厳しく接する」(クリスティン・ネフ セルフ・コンパッション)

マインドフルネスと似ていますね。実は、セルフコンパッションの大事な要素の中に、マインドフルネスが入っているのです。
少し違うのは、「自分への優しさ」をより重視しているところです。

これがなぜ大事かというと、吃音者はまず間違いなく「どもっている自分がだめだ」と善悪で判断し、「だめな人間だ」とレッテルを張っています。
自分に対して厳しいですね。しかし、本当にだめな人間でしょうか?友達の吃音者がどもったらだめな人だと思いますか?
グループカウンセリングでも、他のメンバーがどもった時には、さほど気にしないのに、自分がどもるときだけ自分に厳しくなるのです。
その態度がさらに吃音を悪化させるので、セルフコンパッションは非常に有効な手段です。
マインドフルネスもセルフコンパッションも、科学的に研究され有効性は証明されています。
吃音に於いても、すでに研究が進んできていますし、これからもっと進むでしょう。
成人の吃音は、これと言った治療法がないと言われていますが、これからの未来は明るいと思います。
ちなみに、私はマインドフルネスとセルフコンパッションとACT(認知行動療法)を積極的に取り入れています。

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