吃音は治すものではなく治るもの。
セミナーや講習会の準備で忙しく、ブログがなかなか書けずにいました。
小平市の講演会は計6時間もあり、それも心理やカウンセリングではなくて、一般のかたに吃音を説明するというちょっと専門外の内容なので、沢山調べ物をしています。
しかし、それもよい勉強になっていると思います。
さて、先日ふと廣瀬カウンセリングの古いブログ(2016年5月)を見ていたら、良い記事だなと思ったので、そのことについて書いてみます。
「治す」ことと「治る」こと
書いているのは、当時のカウンセラー「シンザン」さんです。
シンザンさんは、当時20代だと思いますが、私より少し先輩で、私の前の廣瀬カウンセリングの代表でした。
私が代表になった時に、シンザンさんは入れ替わりで代表からカウンセラーになったと記憶しています。
私は廣瀬カウンセリングに入った時は、シンザンさんはかなりの難発でしたが、カウンセラーになってしばらくして、吃音はほぼ消えていました。実際に吃音が治った経験と、カウンセリングを真剣に学んでいるからこそのブログなので、文章には説得力があります。
経済学の研究者でしたが、吃音のため海外留学をしなかったので、その後の就職に大きな影響があったそうですが、今は某経済大学で准教授をされています。ちなみに、今は廣瀬カウンセリングを辞めています。
さて、このブログに書かれているように、吃音者は自分の吃音を「治そう」とします。
しかし、まず治らないですね。
それは、吃音を自分の意思で変えられるものだと考えているからです。
これは、吃音を一種の「物質的なモノ」「無機的なモノ」として扱い、修理すれば治るといった考え方です。
もちろんこれで治るものもあります。例えば機械とか。
病気も癌を手術で取り除くことは出来ます。
しかし、吃音はそういった類の治し方は向いていません。
例えば「流暢性形成法」という、治し方があります。これは言語聴覚士が行う治療法ですが、
すごくおおざっぱに言えば、話し方を一度分析、分解して、どもらない話し方を身に付けようというものです。
これは、吃音に手を加えて修理しようという発想ですね。
しかし、この方法では治りません。実際は総合的アプローチに変わってきています。
(これはあくまで成人の吃音についてです。)
このブログには「例えば、道端に生えている草を、私が伸ばせるかというと、これは無理です。絶対に伸びません。水をやったり、肥料を与えることで、伸びるのを助けることはできますが、伸ばすことそのものはできない。力づくで引っ張ったりしてみても、ただ草が抜けるだけで、伸びることはありません。」と表現しています。
つまり、「草は生き物なので伸びようとする力が備わっている。水や肥料を与えれば、自ずから伸びていく。」という考え方です。これは、カウンセリングの創始者カールロジャーズの思想から来ています。また、東洋的なところもありますね。治す力は本来その人に備わっているという考え方であり哲学です。
吃音も同じなのです。言葉が出ないところへ、何か作為的に処置すると声が出るかと言えば、出ないとは言いませんが、限定的だし持続はしません。常にそのテクニックを使い続けなければならないので疲れてしまいます。
つまり、吃音は私たちの思い通りにはならないものなのです。それは皆さん嫌と言うほど身に染みているのではないでしょうか。
しかし、人間も水や肥料にあたるものがあれば、より良く成長し、その人らしい話し方で吃音を改善できると考えられます。
この場合の水や肥料にあたるものとは、カウンセリングで言えば「受容」や「共感」してくれる人がいる。というとになるし、ACTの「価値」のように人生の価値を見出すところから人は自分の深く掘り下げ、成長していくことが出来るのではないでしょうか。
私はカウンセリングでよく「無理に声を出すのではなく、自然に出るのを待つ」とアドバイスしていますが、これも作為的やテクニック的に声を出すのではなく、「草が伸びるのを待つ」と原理としては同じことを言っています。
時間多少かかりますが、人間的に成長していけば自ずから声は出るようになってきますし、元に戻ることはありません。
ただし、正しく「感じる」というプロセスを踏むことが必要です。
頭でっかちになってしまっては、成長に偏りが出来てしまいます。
まとめると、吃音は治すものではなく自然と治るもの。
自分自身が、過去の経験などからくる思い込みや、物事の一面しか見ない意識の在り方を改めて、心の目を開き、ありのままで生きられるようになると、心理的にも症状としても吃音は改善していくものです。
また、シンザンさんの別のブログにこんな文章がありました。「廣瀬カウンセリングでやっていることは、単に廣瀬先生個人の思いつきではなくて、古今の哲学者や思想家や芸術家にも共通する、ある一点を大切にしています。吃音を治すことが一義的な目標ではありますが、この感覚に気付いていただきたいと思って、私はやっています。」
これは本当に私もそうです。最終的には吃音を治すことではなく、このある一点を掴むこと。
それによって人生がより豊かになること。これが目標です。
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