最後の宮大工と言われた西岡常一「木に学べ」

4月から東京言友会さん、5月は吃音フェス、㋅はよこはま言友会さん、来月は千葉言友会さん小平市とセミナーは続き、準備で忙しくブログは書けずにいました。
セミナーを行って分かったのは、とても自分のためになるということです。
どうしてかと言うと、分かってもらうために調べたり、話し方を考えることは、自分の考えを整理することに繋がると思います。やればやるほど勉強したくなるし、新しい発見があるのですね。
夏から秋にかけては、日本吃音協会や流暢性学会で発表したいと思います。

さて、今日は西岡棟梁の本「木に学べ」から書いてみたいと思います。
と言っても、この本は学生時代に読んで今は家にありません。内容も朧気です。
しかし、映画にもなっていて、一度友達と観に行ったことがあります。

西岡棟梁で有名な仕事は、法隆寺の修復ですね。
飛鳥時代の建築ですが、棟梁曰く、今より技術は進んでいたそうです。
例えば、釘一本とっても錆びないのですね。今と違って何度も叩いて強くしているので、同じ鉄でも全然ちがうのだそうです。
木に関しても、ヒノキを使うのですが、寿命は1,000年のものを使うのだそうです。
すると、その建物はちゃんと手入れをすれば1,000年持つのだそうです。
現代の建築は1,000年先のことは考えてないですよね。
タワーマンションなんて、どうやって修繕するのか???ですね。

棟梁の名言に「木を組むには、人を組め」という言葉があります。
建てるときの人の心と、皆の心を一つにすることが、建築に大事だということですね。

薬師寺も西岡棟梁の仕事です。
特に、有名なのは西塔の再建です。薬師寺には、東塔と西塔があり、本来同じ塔だったのですが、西塔が焼失し、西岡棟梁が一から再建したのですね。
驚くべきことは、西塔は東塔より30セン高く作ってあります。なぜかというと、木が乾燥で縮んで塔が低くなるのを計算してのことです。同じ高さになるのは500年後だそうです。

私が言いたいのは、これは学者には出来ないことだ、ということ。
西岡棟梁は学者や研究者を嫌っていました。机上でしか物事を考えないと、、。
つまり、様式から入って現場を見ないのですね。

仏教建築の本質は「仏教への帰依」の心です。それが純粋だったのが飛鳥時代です。
のちに、その純粋さは失われ、仏教建築もある意味低俗になっていきました。

西岡棟梁は、江戸時代の日光の東照宮を散々にけなしています。
確かに、豪華絢爛ですが、飾り物が多く、確かに建物自体の魅力は感じません。
棟梁曰く、「(寺社建築で)一番悪いのは日光東照宮です。装飾のかたまりで…芸者さんです。細い体にベラベラかんざしつけて、打ち掛けつけて、ぽっくりはいて、押したらこける…」

また、「自然を『征服する』と言いますが、それは西洋の考え方です。日本ではそうやない。日本は自然の中にわれわれが生かされている、と、こう思わなくちゃいけませんねえ。」 – 松久朋琳との対話で東洋と西洋の比較について、とも言っています

これは本当にそう思います。

心理療法で言えば、西洋的なのは、精神分析、認知行動療法(従来型)はこれにあたります。
それに対して、東洋的なのは、森田療法、内観療法、マインドフルネス、ACTなどでしょうか。

西洋は科学的です。客観的に数値に表せるものを目指しています。
吃音の臨床も、西洋的ですね。言語訓練は、吃音の症状を間違ったものとみなして修正しようとします。
認知行動療法も、間違った思考を正すニュアンスがあります。

でも、東洋は対立し分析するのではなく、それに入り込み、自然に任せようとします。
吃音の臨床で言えば、マインドフルネスやACTがそうですね。

どうも日本人は舶来主義や、科学的なことに弱いのか、西洋的なものを重視する傾向がありますが、
もっと東洋的なものに目を向けたほうがよいのでは?と思います。

それもあって、私はACTに魅力を感じています。

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