親は吃音を持つ子供にどう接するべきか?

今回は吃音を持つ子供に、親はどう接するべきか?について書いてみます。
ただ、私自身は成人の吃音を対象にしカウンセリングをしており、
幼児の吃音や、親としての接し方については経験がありません。
むしろ、吃音を持った自分が、親にどう接してほしかったか?という記事です。
あくまで私個人の経験や考えかたとなります。

幼児の吃音については、最新のガイドラインが出ています。
http://kitsuon-kenkyu.umin.jp/index.html
これが一番科学的知見に基づいた情報と言えるでしょう。
勿論合理的配慮も必要です。

ちなみに、幼児の吃音は「親の育て方のせいではない」というのが、今の常識です。
これも、昔の常識と今の常識は大きく違いますね。
親が自分を責める必要はありません。

ただ、私が成人のカウンセリングをしていると「親に言葉の干渉をされて嫌だった」
という人はかなり多いです。
「もっとちゃんとしゃべりなさい。」「そんな話し方ではだめ。」など、、。
中には、その時の母親の口の形を覚えている人もいるくらいです。
トラウマですね。
かといって、そういう育て方をしていない家庭でも吃音になる子供はいます。
正しい情報が広まれば、こういう育て方をする親も減ってくるでしょうが、、。



私は、吃音自体は遺伝や体質で発症するが、後天的環境により悪化する可能性があると考えています。

さて、私の吃音は幼稚園の時だったそうです。
親戚のおばさんの話によると、母は乳がんで入院した時からどもりだしたと。
この時に何かしらのストレスがあったのでしょうか。
ちなみに、家族に吃音者はいません。

母親は、私が一人っ子だったのもあって、やや過保護気味。父親は昭和の男で厳格な父でした。
父は学生時代成績はかなり優秀だったのですが、家の金銭的な事情で大学に行けず
その期待は私に向けられました。良い大学に行って、良い会社に入らなければ後悔するぞと。
後に美大に行った私は見事に裏切った訳ですが、、、。

小学校は高学年から毎日言葉の教室に通い、なんとなくそれなりに吃音をごまかして生活していました。
親が私の吃音の重大さに気が付いたのは、高校受験のとき、受験会場の下見に父と行った時です。
当時は電車の切符は自動販売機でなく、口頭で買わねばならず、駅の名前が言えなかったのです。
結局、父に買ってもらい、その場はしのぎましたが、問題は受験当日です。
同じ高校を受験するクラスメートと一緒なので、父がいるとおかしい訳です。
いろいろ考えた末、父が他人のふりをして切符を買い、こっそりと私に渡すということでしのぎました。

何十年か経って、家族とその話になり、父はその時とてもつらかったと言っていました。
きっと、子供の将来が心配で仕方なかったでしょう。
実はこの時、母は反対でした。自分で切符を買いなさいと、、。
今から思えばどちらが正しいとは言えませんが、私は母の意見のほうが良かったと思います。
例えどもって恥をかいても、自力で切符を買ったほうが良かった。
その時は良くても、いずれ同じ問題にぶち当たるからです。
吃音は隠せば隠すほど問題が大きくなります。

とは言え、大まかに言えば両親とも過保護気味だったと思います。
母はもういないし、父もかなり高齢なので、今はどんな気持ちだったか聞けないですが、やはり今になって思えば吃音だったのがショックだったのではないかと思います。

しかしあえて言うならば、もっと厳しく育てるべきだったと思います。
何か壁に当たるとすぐに手を差し伸べてくれましたし、私もすぐに親に頼るようになってしまいました。
依存心の強い子供になってしまったのですね。
勿論、両親に感謝はしています。

その分、社会に出てからは苦労しました。
自分の名前も言えなかったので、就職自体イメージ出来なかったですし、実際しなかったので、バイト生活です。
吃音だから、もともと人と関わることが苦手だったので、学生時代に乗り越えておかなければならないことを、社会人になってなんとか乗り越えてきたので、常に人の後ろを追いかけている感じでした。

そんな私が、吃音の子供を持つ親に言いたいのは、愛情はたっぷり、でも甘やかさないことです。
子供がどもっているところを見たら、人の親なら情をかけたくなります。
でも、情は心の目を曇らせますね。
でも、結局はその情が子供を苦しめることになると思うのです。
例え吃音で苦しい思いをしても、親が子供を信じていたら乗り越えられると思います。

バイデン大統領が吃音なのは有名な話ですが、なぜ吃音なのに大統領にまでなれたのか。
私は、母親の存在が大きかったのかなと思います。

毎日、学生のバイデン氏が家を出るときに
「ジョーイ、吃音で自分を決めつけないで」
「自分が何者であるかを思い出しなさい。」
「あなたならできるわ」
と声をかけたそうです。
母親の強い愛情と信念がそうさせたのかもしれませんね。
これは一種の催眠療法ともいえます。
毎日耳から入ってくる言葉は、潜在意識に蓄積され、大きな力となります。
特に、「吃音で自分を決めつけない。」「自分は何者か」
という言葉は、吃音で自分を評価しない、自分には価値があると思えるようになります。
きっと、母親も心配で仕方なかったはずです。相当な葛藤があったでしょう。
でも、息子を信じる強さがあったのではないでしょうか。



私は、常に「勉強が出来ないと、将来生活できない。」
「もっと勉強しなさい。」「あの人に負けてはだめ」と言われてきました。
これは、○○じゃないとあなとを認めませんよ。というメッセージ(暗示)を与えます。
逆に、一番うれしかった言葉は「五体満足で生まれてきてよかった」です。
これは、評価でなく、存在の肯定ですね。
吃音者にはこれは必要なんです。

私が切符を買えなかった時、親は悲しくつらかったと思います。
自分に出来ることがあればしてあげたいと思うでしょう。
でも、どんなにつらくても、子供の人生は子どもの人生だと思うのです。
サポートしなくていいと言っているのではありません。
家庭の雰囲気、吃音を自由に話せる環境、吃音で評価しない子育て、学校への説明
すべてやるべきです。
でも最後に吃音をどう向き合うかはその子供次第だと思います。
親は変わってあげられないのです。

そういう意味では、子供を通して親がどう生きていくか?も大切な問題だと感じます。

91歳の父は、九州で一人暮らし。(最近老人ホームに入所しましたが)
年に2回ほど会いに行きますが、今でも父の前が一番どもります。
でも、父はずっと笑って待ってくれています。
心配している様子はないですね。
きっと、私自身がもう吃音を気にしていないのを感じ取っているのだろうと思います。

吃音であってもなくても、同じようにあなたは尊い存在。
それをお子さんにぜひ伝えてあげて欲しいと思います。

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