吃音とベースとテニス
ベースが伸び悩む
ベースについてですが、これは楽器のエレクトリックベースです。
もともとフォーク少年だった私は、アコースティックギターを弾いていましたが、
高校生の時にベースがいないという理由でベースに転向しました。
よくある話です。
大学の時に軽音楽部のようなサークルに入って、徐々にプロになれたらいいなと思い始めます。
卒業間近になって加入したバンドが、あるプロミュージシャンの目にとまり
アルバムをレコーディングすることになりました。
その後、プロの方たちとセッションしたり、セカンドやサードアルバムをレコーディングしたり、
ツアーをしたりします。
しかし、悩みがありました。それは、、
ベースがうまくならない、、、。です。
もともと音楽の勉強はしてませんでしたし、誰かに習った訳でもないので、すべて我流でした。
でも、ロック系のミュージシャンは、ほぼみんな我流なんですね。
生活のためにバイトしながら、一生懸命練習しましたが、なかなか自分の思うように弾けませんでした。
サードアルバムをレコーディングした後に、バンドをやめる決意をします。
理由は別に書くとして、それ以来、滅多にベースを弾くことはありませんでした。
テニスで脱力を学ぶ
数年後に趣味でテニスを始めました。幼い時から吃音だったからか、性格は内向的でスポーツは苦手だったのですが、
もともと身体を動かすのは嫌いではないので、スクールに入って習い始めました。
そして、テニスで一番学んだのが「脱力」です。
力を入れればいいというものではなく、いかに脱力するかが大事なスポーツだと分かりました。
強く伸びる球を打つには、脱力が大事なんですね。
それと、チャンスボールが来た時に、ミスするケースがよくあります。
それは、「決めてやろう」と必要以上に力が入って、頭と身体が一致しないからです。
これをベースにあてはめると、自分はかなり無駄な力をいれて弾いていたことが分かりました。
感情表現も苦手だった
ある感性の鋭い人に、バンドのライブの感想を聞いたことがあるのですが、
私のベースの感想は、「上質な肉だけど、タレがない」でした。(笑)
つまり、「味」がないということですね。
今になって分かるのは、私は感情を出せなかった性格だったので、音の表現も幅が少なかったのですね。
これも、吃音と関係があるのですが、普段から自然な感情出せていないと
演奏の時も、表現が出来ないと思います。
つまり、私にとって、感性を磨く事と、芸術の表現と、吃音の改善はつながっていました。
今から思うと、一流のミュージシャンは、皆人格者でいい人達ばかりでしたし、表現が豊かでした。
一部、例外もいますが、(笑)少なくとも、自然体で感情の豊かな人が多かったです。
心と身体が一致したときに、いい演奏やプレイができる
吃音の改善については、なんといってもカウンセリングを受けたことが大きかったのですが
無駄な力を入れないことを、テニスで意識していたこともプラスになったと思います。
吃音者は、言葉が出ないときに、無理やり力を入れて声を出そうとしますが、
それが、力を入れてベースを弾く、力を入れてボールを打つのと同じように感じました。
楽器の演奏も、スポーツも身体の感覚を大事にします。
これは、頭で考えていても分かりません。実践とか体験でしか分かりません。
きっと、心と身体が一致した時に、いい演奏やプレイが出来るのでしょうね。
吃音も、身体が言うことをきかない状態ですから、一致してくれば改善する可能性はあります。
全然弾かなくなっていたベースですが、その後アマチュアでは何度が弾くことがありました。
また、そのバンドの25周年ライブや30周年ライブでは、ゲストで呼んでもらって、何曲か弾きました。
多分、今はほぼ練習していないけど、現役の時よりいい感じで弾けます。
何より、無駄な力を入れることが減って、弾くのが楽しくなりました。
身体に無駄な力が入るとき。
テニスの場合は「ここで決めたい」→「決めなければならない」
ベースの場合は「うまいと思われたい」→「うまく弾かなければならない」
吃音の場合は「流暢に話したい」→「流暢に話さなければならない」
となっているのかもしれませんね。
いずれも、自然な自分が出せない状態だと思います。
私の場合は、自分の身体の感覚と対話をすることで、無駄なものを自覚し
より自然な身体の使い方に近づいてきたのかなと思います。
人と比較しない
ちなみに、後日談ですが、普段聴いているいるラジオで、そのバンドの曲がかかったことがあります。
しかも、私が脱退する前で、バンドとして知名度が上がる前の曲です。
マニアックな選曲をするな~と思いながら聴いていましたが、
どうもベースが私よりうまい気がします。
これは、きっと今のメンバーでレコーディングし直したのだと思い
バンマスにメールして訊いてみたら、「それはない。あなたしかいませんから!」と、、、(笑)
つまり、同じ演奏でも「自分」だと思って聴くのと「別の人」だと思って聴くのは
違って聴こえるということです。面白いですね。
これは、当時、私が常に自分と人とを比較していたからだと思います。
同じように、吃音でも言友会に入った時は、人と吃音の重さを比較していました。
テニスも然りです。
それが、様々がことがあり、減ってきたことで吃音にも変化があったのですね。
ベースはうまい下手の上下関係ではない、吃音も吃音によってその人を見ない。
人そのものを見る。
心理学的に言うと、人の演奏だと勘違いして聴くと、以外といいベースだなと思った。
ここに認知のずれがあったのですね。
これは、吃音者は沢山どもったと思うかもしれないけど、周りからみたら気にならないと思われている
事に近いですね。これも、認知のずれです。
私にとって、面白い経験でした。
今はカウンセリングも、絵も、音楽も同じ
今は忙しくて、ベースを弾く機会がなかなか持てませんが、絵を描くことに関しては
感性が上がってきていると思います。
以前の私の絵は、「うまい」と言われることがありましたが、「いい絵だね」とは言われませんでした。
最近は、「癒される」「優しい気持ちなる」と言われることが多いです。
嬉しいですね。これはカウンセリングの効果だと思います。
今は、カウンセリングも絵も音楽も、区別することなく、同じように感じています。
ベースに関しては、今はYouTubeで弾いている動画を見られるのはいいですね。
昔はテープが擦り切れるまで聴いてコピーしたものです。ちなみに、テニスは結局あまりうまくはならず、中級どまりで、
そのころからカウンセリングを学びだしたので、辞めてしまいました。
機会があれば、また弾いてみたいと思いますが、今の自分ならどんなベースになるか、ちょっと楽しみです。
馬田さんと私は考え方もそうですが、興味の対象が非常に似ていますね。
私もギター(クラシックとアコースティック)と卓球をやっており、脱力については同じ思いを持っております。エレキベースもフォークのグループを組んでいた時に、代理で少しやったことがありますが、セミプロの馬田さんとはレベチが激しすぎます。(笑)
私は何故か人に教わるよりも、いろいろと試行錯誤しながら自分で極めていくのが好きなため、遅々として上達しませんがとても楽しんでおります。
球技や弦楽器で重要なのが脱力と、フォーカシング(何に焦点を当てるか、何に集中するか)ということだと思います。
私の場合、楽器の演奏時は手の動きに集中することはせず、曲のメロディやテンポ、音色などに集中します。そうすると、肉体はそれを実現しようと動きますが、失敗したくないとかうまく見せたいという余計な思考や感情が入らないため、割と思い通りにいきます。
卓球の場合は、ボールに集中します。ボールのスピードや回転方向、回転の強さ、コースなどにより肉体が最適な対応をすべく動きます。こちらも、失敗したらどうしようとかここで決めてやろうなど余計なことを考え、それに集中すると上手く行きません。繰り返し反復練習していることは自動化されていますので、その自動化が最もうまくはたらくことに集中してやればいいのだと思っています。
発語も全く同じなのですが、これがなかなか難しいですね。
肉体的な緊張は吃音の大きなファクターの一つではありますが、脱力に集中して脱力が出来たとしてもそれだけでは、言葉は出てきません。
フォーカシングするべきものは、脱力ではないからです。
私の吃音改善のポイントは、そこにあります。
幽玄さん。コメントありがとうございます。
曲のメロディやテンポ、音色などに集中するのは良いかもしれませんね。
私は現役時代そこが弱かったかなと思います。
テニスも自分のフォームを気にしすぎて、来た球に反応出来なかったりすることが多かったですね。
演奏やスポーツと吃音との違いは、前者は出来ないものを練習で出来るようにする事。後者は一人ではどもらないので、もともと出来ている事が何らかの要因で出来なくなっている。だと考えています。
幽玄さんの改善方法は、よいイメージを持つことも含まれると思いますが、メンタルリハーサル法とはまた違うのでしょうか?
私は、メンタルリハーサルはあまり効果が無いと思っています。
理由については、私のブログの方に書き込みますので、そちらを見て下さい。
よいイメージも、普通は恐怖や不安を拭い去るだけのパワーとはなりませんので、発語しなければならないその瞬間に効果を発揮することは難しいと思います。