聴いてください
傾聴とは?
今回は「傾聴」に関して書いてみたいと思います。
傾聴というと、カウンセリングをイメージされるかもしれませんね。
また、優しく話しを聴くという風に思われるかもしれません。
皆さんは、人から話を聴いて欲しいと言われたら、どのように聴きますか?
普通は、聞いた話から自分の経験や考えを当てはめて
相談者が問題を解決できるように一生懸命にアドバイスすることが多いのではないでしょうか。
実は、カウンセリングや傾聴においては、自分の経験を語ったりアドバイスするのは基本的にしません。
それはなぜか?
先日ネットで見つけた詩がとてもよく、ヒントになると思うのでここに載せます。
聴いてください。
聴いてくださいという詩があります。
「聴いてください」作者匿名
私が聴いてと頼んで、あなたがアドバイスを始めたら 、
あなたは私が頼んだことをしていないのです。
私が聴いてと頼んで、あなたが私はそんなふうに感じるべきでないと理由を話し始めたら 、
あなたは私の気持ちを踏みにじっているのです。
私が聴いてと頼んで、あなたが私の問題を解決するために何かをしなければならないと感じたら、
あなたは私を失望させています。だって、おかしな話ですよね。
祈ることに慰めを見出す人がいるのはそのためでしょう。
なぜなら、神様は無言です、忠告しないし、物事を直そうとはしません。
神様はただ耳を傾け、あなたが自分でなんとかすると信じているのです。
だから、どうか、ただ私に耳を傾け、聴いてください。
そして、もしあなたが話したければ、あなたの番になるまで少し待ってください、そうすればきっと私はあなたに耳を傾けますから。
いかがでしょうか?
とても傾聴の本質をついていると思います。
そして、「祈り」や「マインドフルネス」にも通じています。
真空論。
「私達が一人で思い悩む時、心の中には何人もの他者が存在しています。
そして、それらの人々の目を気にしたり、何かを言われたりして身動きがとれなくなっています。
つまり、物理的には一人であっても、心理的には一人になれないでいるのです。
しかし、もし近くに自分のあるがままを受容し、共感してくれる人がいれば
それまで心を支配していた他者の声が消えていく感覚があるのです。
つまり、ここではじめてほんとうの意味で「ひとり」になることができ
誰にも邪魔されずに、自分の内面を見つめることができるのです。」
(友田不二男の真空論より)
つまり、他者のアドバイスがあると、相談者が内面を見つめる作業の邪魔になってしまうということですね。
「自分のうちなる声を聴く」ということなのかもしれません。
もちろんアドバイスが悪いと言っている訳ではありません。
傾聴よりもアドバイスのほうがいい場合もあるでしょう。
ただ、アドバイス(相談にのる)と傾聴はまったくの別物だということです。
吃音が改善するとは、心と身体が一致すること。
吃音とは、ある意味吃音モードに身体を乗っ取られるようなものです。
でも、そこには心の奥底からのメッセージがあるはずです。
傾聴やフォーカシングを通して、自分の気持ちの下の気持ち(本当の自分)の声に
耳を傾けると、吃音もあなたの声に耳を傾けれくれるかもしれません。
実際、グループカウンセリングや傾聴を通して、他者の声に耳を傾けるようになると
本人の吃音が改善するケースは多くあります。
それは、相手の話を傾聴するようになると、自分の内側も傾聴出来るようになり
心と身体が一致した状態に近くなるからだと思います。
マインドフルネスでは「全体性」を重視しますが、この場合、全体性とは、「心と身体が一致している状態」とも言えます。
さきほどの詩で「神様は無言です、忠告しないし、物事を直そうとはしません。神様はただ耳を傾け、あなたが自分でなんとかすると信じているのです。」
とありましたね。
これが、カウンセリングの基本的な考え方です。
「私たちの中には、自分で問題を乗り越えて、成長していく力が備わっている」という考え方です。
心の問題と友達になること。
また、カウンセリング全般に言えることですが、心の問題は逃げると逆に大きくなります。
逃げるのではなく、出来るだけオープンにして、自分を許すこと。受け入れるないとと苦しくなります。
問題を抱えている人は、隠そうとする傾向があるんですね。吃音も然りです。
カミングアウトした方が、楽になる場合が多いのは、オープンにするからです。
そして大事なのは、心の問題と友達になることです。仲良くなれば納得して消えてくれます。
そうすれば症状が出にくくなり、改善に向かいます。
私がカウンセリングで吃音を改善しようと思うのは、外側だけ改善しようとするのは無理があると考えるからです。
吃音を発声練習で治そうとする人が多いし、言語聴覚士の指導も一般的には言語の訓練が多いですが、
発声練習をする心理の裏には、「早く吃音がなくなって欲しい、排除したい」という気持ちが含まれますから
逆に改善しにくくなる場合もあると考えています。
さきほどの詩の「神様は無言です、忠告しないし、物事を直そうとはしません。」という部分ですね。
ただ、私は発声練習自体が悪いわけではなく、心理的支援のない状態で、練習するのが問題だと考えています。
成人の吃音は、心理の問題。
最近の研究で、幼児の吃音は「遺伝子の異常からくる、脳の神経の接続異常。タイミング障害。」
成人の吃音は、「過去にどもった時の恥ずかしさ、苦しさからくる、条件反射。心理的な反応」だということが分かってきています。
ただ、これは、専門家の間でも広くな認知されておらず、相変わらず、成人の吃音に対しても、
言語訓練だけで治そうとするケースが多いのが問題ですし、実際効果は限定的です。
「傾聴」は、見方を変えれば「マインドフルネス」(相手の話を集中して聴き、自分の考えを入れない。ありのままを聴く)なので、
傾聴力を鍛えるのは、吃音の改善に有効ですし、今までのカウンセリングの経験でも実感しています。