考えないトレーニング

考えることより、感じること。

カウンセリングでは、考えることより感じることが大切だとお話しています。それは、最もパワーが削がれる行為が、考えることだからです。今どんな音が流れていて、目の前にどんな風景が広がっているのか。それが分からないのは、無意識化で考えることに多くのエネルギーを割いているからです。自分の世界に入ってしまって、目の前のことが分からない状態です。

吃音の時も自分の世界に入り、目の前のことが分からなくなっている状態です。だから、吃音を感じる(観察)ことや、周りのことを観察するのが大事なのです。実際、一部の臨床では、これに近い概念として「自己注目」を「他者注目」にするアプローチが行われています。
社交不安における自己注目と他者注目を脳領域と視線情報から可視化する 富田 望 熊野宏昭


感じること自体は誰でも出来ますが、吃音の観察では、出来るだけ注意を集中させる必要があります。
でも考えることにエネルギーを割くとそれが出来ないのですね。
ではなぜ、人はすぐに考え出してしまうのでしょうか?

飽きがくると考え出す。

例えば「飽きる」ことを例に挙げてみましょう。
同じ人でもずっと一緒にいると最初は新鮮でも、やがて飽きてきます。相手の顔も非常なスピードで変化しているのに
飽きてくるとまるで変わっていないように見えるのです。そうなると自分の好きなことや気になっていることに夢中になり
考えてばかりになるのです。自分の脳の中に逃げ込んでしまって、相手に対する興味が薄れてきます。

私のカウンセリングの先生はこれを「心の中のおしゃべり」と仰っていました。ACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)では、「マインド」と言います。これが考えてしまって、感じていないということです。

「欲」と「怒り」と「迷い」があると、感じることができない。

私達は常に様々な刺激を受けていますが、仏教では、その刺激を感じることを邪魔するのが「欲」「怒り」「迷い」 という貪瞋痴の三毒 だと教えています。
「欲」とは、自分の欲望や快楽を満たしてくれる刺激をもっと欲しいと思うことです。例えば、先ほどの相手に対して、楽しいことがあった場合、それよりも楽しいことを求める欲ですね。欲にはきりがありません。

「怒り」とは怒ることだけではなく、誰かを妬むのも、過去を後悔するのも、寂しいとか緊張するのも根は一つ、怒りのエネルギーだと仏教では教えています。刺激を受け入れられずに反発し負の感情に流されていく事ですね。ちなみに、ACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)では、これを「体験の回避」と言います。

こうして心の中でおしゃべりが増えてくると、脳は無駄な雑念に食いつぶされてしまいます。
だから目の前の風景や、人の表情をクリアに認識することも出来なくなってしまい、自然の音や人の声をしっかり受け取れなくなり
自分が生きている充実感がなくなってしまいます。

「迷い」とは目の前のことにしっかりと向きあえずに別のことを考えてしまうことです。例えば、先ほどの目の前の人に飽きてしまい、自分のことばかり考えてしまうことです。
これでは、考えれば考える程、相手の心を受け止めることが出来なくなってきます。相手の表情の変化や声の変化などしっかりと捕まえることが出来ないから、いつもと同じ顔だ。つまらないと感じてしまう。つまりリアルな現実から脳の中へと逃避してしまうのです。
この考える癖をつけてしまうと、そうでない時も考える癖が出てしまい、引きこもりやすい性格になってしまいます。
廣瀬カウンセリングの廣瀬先生は、吃音のグループカウンセリングで、相手の話を聞いて自分がどもることばかり考えてなかなか発言をしない人に「それはとても失礼なこと」とおっしゃていました。自分がどもるかどうかを第一に考えて、相手に向き合っていないからです。しかし、それが良くないことに気づいた人は、相手に向き合おうとする→相手を受け止めて感じるようになる→吃音が改善する。の流れを踏むようになります。つまり、これはマインドフルネスと同じプロセスです。
グループカウンセリングは考えないトレーニングなのです。

普段のトレーニングが大事。

吃音の観察も、カウンセリングの時だけ観察しようと思っても無理があります。普段から、心のおしゃべりをなるべくしないで、人の話をしっかりと聴くこと。
また、好きな人の話だけを聞くのでなくて、多少嫌な人の話も聞くようにする。もっと言えば、耳の痛い話も聞いてみる。
好きな音楽も聴くけれど、町の騒音にも耳を傾ける。
なぜこれが必要かと言うと、世界は時間の流れを通してつながっていて、影響しあっているからです。これを仏教では「縁起」と言います。吃音だけなんとかしたくても、それは無理なのです。
(実際、セルフコンパッション瞑想では、自分の嫌いな人へも慈悲の心を向けます。)

ですから少しでも早く吃音を改善したい人は、目の前の人の話を真剣に聴くことをおすすめします。

観る瞑想。

次は観ることについて書いてみます。
例えば、車で毎日走っている風景を、歩いてみると別の景色が見えてきませんか?
車を運転していると、当然安全のために注意を払いますから、細かい景色は見ることが出来ません。
いつもは、同じでつまらなく思える景色も、ゆっくり歩くと普段見落としている細かい風景を見ることが出来ます。
よく散歩をすると、いいアイデアが生まれるという話を聞いたことがあると思います。
これは、風景を観察することで、思考が弱まり直観や気づきが高まっている状態ではないかと思います。
私は、撮るマインドフルネスという、スマホで写真を撮る瞑想を実践しています。
これは、先ほどの「他者注目」に繋がる「外部注目」にもなります。
対人恐怖心性における外部注目による不安低減の試み

食べる瞑想。

次は、食べることについてです。私たちは、食事の時にほとんど「食べる」ことに集中していません。
大概は、これから何をしようか?とか、昨日の仕事はつらかった。とか思考に走っています。テレビを見たり、スマホを見たり、友達とおしゃべりしたりしています。多少は、味わっていますが、観察というところまではいかないでしょう。

食べることの観察については「食べる瞑想」というのがあります。
欧米では「レーズンエクササイズ」といって、干しブドウを食べるマインドフルネスがあります。

食べ物を口に入れるには、動作が必要です。
その動作をぼんやりと考えごとをしながらではなく、しっかりと意識しながら行います。手の筋肉の動き、食器をつかんだ触感、口に入れた触感を感じとります。
口の中で食べ物がバラバラになるのを感じ、味を感じます。それだけでも、膨大な量の情報があるはずですが、普段は考えごとをしているので、切り捨てられているのです。その瞬間瞬間に移り変わっていく情報を感じ取っていったなら、考え事をしている暇はないはずです。

このように食べると、繊細な現実が見えてきて、充実感が出て来るはずです。

吃音は脳内に逃げ込んでいる状態。

これらを吃音に当てはめてみると、ほとんどの吃音者は、周りへの注意は怠って、自分の脳内に逃げ込んでいます。
刺激を受け入れられずに反発し負の感情に流されていく。
周りからの刺激を受け入れられずに反発し負の感情に流されていくので、不適応に向かってしまうのです。
この不適応が身体に現れたのが「吃音」だと考えています。
考えることより、感じること。これは、2500年の歴史を持つ仏教と、心理学でも同様に言われていることです。
吃音の観察は、理解のある人の前や、カウンセリングなど安心安全な場所で行うべきですが、
五感を使った様々な観察やマインドフルネスは意識して行うとよいでしょう。

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