考えないトレーニング

カウンセリングでは、考えることより感じることが大切だとお話しています。
それは、最もパワーが削がれる行為が考えることだからです。
今どんな音が流れていて、それがどんな意味を持っているのか。
それが分からないのは、無意識化で考えることに多くのエネルギーを割いているからです。
自分の世界に入ってしまって、目の前のことが分からない状態です。

吃音の時も自分の世界に入り、目の前のことが分からなくなっていますね。
だから、吃音を感じる(観察)ことや、周りのことを観察するのが大事なのです。

感じること自体は誰でも出来ますが、吃音の観察では出来るだけ正確に深く感じる
必要があります。
でも考えることにエネルギーを割くとそれが出来ないのですね。

例えば「飽きる」ことを例に挙げてみましょう。
同じ人でもずっと一緒にいると最初は新鮮でも、やがて飽きてきます。
相手の顔も非常なスピードで変化しているのに
飽きてくるとまるで変わっていないように見えるのです。
そうなると自分の好きなことや気になっていることに夢中になり
考えてばかりになるのです。
自分の脳の中に逃げ込んでしまって、相手に対する興味が薄れてきます。

私のカウンセリングの先生はこれを「心の中のおしゃべり」と仰っていました。
これが考えてしまって、感じていないということです。

私達は常に様々な刺激を受けていますが、その感じることを邪魔するのが
「欲」と「怒り」と「迷い」 という貪瞋痴の三毒 だと仏教では教えています。

例えば「怒り」とは怒ることだけではなく、誰かを妬むのも
過去を後悔するのも、寂しいとか緊張するのも根は一つ、怒りのエネルギーです。
刺激を受け入れられずに反発し負の感情に流されていく事ですね。

こうして心の中でおしゃべりが増えてくると、
脳は無駄な雑念に食いつぶされてしまいます。
だから目の前の風景や人の表情をクリアに認識することも出来なくなってしまい
自然の音や人の声をしっかり受け取れなくなり
自分が生きている充実感がなくなってしまいます。

「迷い」とは目の前のことにしっかりと向きあえずに別のことを考えてしまうことです。
これは吃りに向きあえずにあれこれと考えていることと同じですね。

考えれば考える程、相手の心を受け止めることが出来なくなってきます。
相手の表情の変化や声の変化などしっかりと捕まえることが出来ないから
いつもと同じ顔だ。つまらないと感じてしまう。
つまりリアルな現実から脳の中へと逃避してしまうのです。
この考える癖をつけてしまうと、そうでない時も考える癖が出てしまい
引きこもりやすい性格になってしまいます。

座禅やマインドフルネスではそういう煩悩をただ見つめていくだけです。
客観的に自覚することです。
これはロジャースの「内蔵感覚的刺激を自覚する」ことや、吃音の観察と本質的には同じです。



普段から、自分の思考に引きこもり、周りへの関心が薄い人は、
仕事だからといって急に相手の話を聞こうと思っても都合よくはいかないはずです。

それと同じで、吃音の観察も、カウンセリングの時だけ観察しようと思っても無理があります。
普段から、心のおしゃべりをなるべくしないで、人の話をしっかりと聴くこと。
また、好きな人の話だけを聞くのでなくて、多少嫌な人の話も聞くようにする。
もっと言えば、耳の痛い話も聞いてみる。
好きな音楽も聴くけれど、町の騒音にも耳を傾ける。
なぜこれが必要かと言うと、世界は時間の流れを通してつながっていて、影響しあっているからです。
これを仏教では「縁起」と言います。
吃音だけなんとかしたくても、それは無理なのです。


ですから少しでも早く吃音を改善したい人は、目の前の人の話を真剣に聴くことをおすすめします。
(でも大概、それと吃音と何の関係があるの?ばからしい!と思って、やらない人がほとんどですが、、。
でも、そこが分かれ道かもしれません。)

次は見ることについて書いてみます。
例えば、車で毎日走っている風景を、歩いてみると別の景色が見えてきませんか?
車を運転していると、当然安全のために注意を払いますから、細かい景色は見ることが出来ません。
いつもは、同じでつまらなく思える景色も、ゆっくり歩くと普段見落としている細かい風景を見ることが出来ます。
よく散歩をすると、いいアイデアが生まれるという話を聞いたことがありませんか?
これは多分、リラックスした状態で歩くと血流もよくなり、風景を観察することで、思考が弱まり
潜在意識からのメッセージを受け取りやすくなっている状態ではないかと思います。



次は、食べることについてです。
私たちは、食事の時にほとんど「食べる」ことに集中していません。
大概は、これから何をしようか?とか、昨日の仕事はつらかった。とか思考に走っています。
テレビを見たり、スマホを見たり、友達とおしゃべりしたりしています。
多少は、味わっていますが、観察というところまではいかないでしょう。

食べることの観察については「食べる瞑想」というのがあります。
欧米では「レーズンエクササイズ」といって、干しブドウを食べるマインドフルネスがあります。

食べ物を口に入れるには、動作が必要です。
その動作をぼんやりと考えごとをしながらではなく、しっかりと意識しながら行います。
手の筋肉の動き、食器をつかんだ触感、口に入れた触感を感じとります。
口の中で食べ物がバラバラになるのを感じ、味を感じます。
それだけでも、膨大な量の情報があるはずですが、普段は考えごとをしているので、切り捨てられているのです。
その瞬間瞬間に移り変わっていく情報を感じ取っていったなら、考え事をしている暇はないはずです。

このように食べると、繊細な現実が見えてきて、充実感が出て来るはずです。
大事なのは、何を食べているか?ではなく、食べることに心がとどまっているか?だと思います。

これらを吃音に当てはめてみると、ほとんどの吃音者は
周りへの注意は怠って、自分の脳内に逃げ込んでいます。
周りからの刺激を自覚出来ず、思考に逃げて否定しているので、不適応に向かってしまうのです。
この不適応が身体に現れたのが「吃音」だと考えています。
考えることより、感じること。これは、2500年の歴史を持つ仏教と、心理学でも盛んに言われていることです。
吃音の観察は、理解のある人の前や、カウンセリングなど安心安全な場所で行うべきです。
しかし、五感を使った様々な観察やマインドフルネスは意識して行うとよいでしょう。

ブログランキングの応援よろしくお願いします!

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 吃音症・言語障害へ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です