ピカソの絵から吃音を考える

ピカソの絵と吃音に何の関係があるのか?とお思いでしょう。
私のカウンセリングでは、ある文章を読んで感じたことを話し合います。
いきなり吃音の話は難しいので、まずは文章の中から改善のヒントを見つけていきます。
その中にピカソの絵は難しいという話が出てきます。

先日ラジオの番組で女優の柴田理恵さんがピカソの絵が分からないという話しをしていました。
彼女が友達とピカソの展覧会に行った時の話しです。
最初ピカソの絵が分からず、一緒に行った友達にその話しをしたら
「色が綺麗だとかを観たらいいんじゃない?」と言われ
その通りにしたら段々良さが分かって来てゲルニカという作品の前で
ピカソの怒りを感じて泣いたそうです。
この話しはとっても大切な事だと思いました。

まず、ピカソの絵が分からないというのは誰でもあることです。
しかし、友達に言われた事を素直に聞き入れて「感じる」ことに集中した。
その結果ゲルニカの前で泣いたというのはすごい感性だと思います。
大抵の人は人のアドバイスを聞いても無意識のうちに「自分には出来ない」とか
「自分はこうだから」とか言って、ものの見方を変えようとはしません。
「先入観を持たない」
これが、ありのままをを観るということだと思います。

もう一つ、爆笑問題の太田光さんは味が分からないほどのうつ病になったことがあるそうです。
しかし、ある日ピカソの絵を観て「こんなデタラメな絵があってもいいんだ」と気づき
うつが治ったそうです。
ピカソの絵はデタラメではないですが、それまでの常識を破った絵です。
きっと太田光は「こうでなくてはならないとかこうあるべきだ」という
観念に縛られていたのが「今のままでいいんだ」と思えるようになったのでしょう。

吃音者は吃った時の「これでいいんだ」という肯定感が少ないように感じます。
ということは自己を否定していることですが、一体誰が否定しているのでしょうか?
結局は自分で自分を否定しているのですね。

ピカソの子供の時の絵を観たことがありますか?
すっごく上手いです!しかもこれは14歳の時のデッサンです。


でもそれから後の絵は上手いとか下手とかを超越して、伝えたいものがあったのだと思います。
それは人の悲しみとか嬉しさとか、、、ゲルニカは戦争への怒りでしょうか。
あるいは常識の破壊でしょうか。

吃音者は何を伝えたいか?よりも
吃ったとか吃らなかったとかを気にしていませんか?

もしピカソが伝えたいことよりも、絵が上手いかどうかを気にしていたら
美術史から消えていたでしょう。

ピカソの絵の良さを分かるのは、簡単なことです。
素直に子供の心になって観ればよいのです。
ピカソが子供の心になって描いたのだから、子供の心になって観ればよいのです。
でも、大人になった私たちは「常識」や「こうでなければならない」に縛られて
自由に感じることが出来ない。絵も自由に観ることが出来ない。

吃音は幼少期のトラウマと大きく関わりがあると思います。
本来なら、子供の心を持ちながら、大人になるのが良いのですが、
どこかで子供の純粋な心を見失っているのかもしれません。

柴田理恵さんの「色がきれいだと思った」は理屈ではありません。
感じたことです。
吃音者は頭で考えることはたくさんしますが、どもっている時に身体に何がおこっているか?を
感じることはほとんどしません。
言葉にならない何かを感じることによって、吃音が改善するというのが私のカウンセリングです。

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