コジコジは役に立たない。
自分の「存在」にOKを出すこと。
もうお亡くなりになったさくらももこさんですが、
私は、作品をちょっと読んだくらいで、特にファンというほどでもないのですが独特の世界観やメッセージ性に興味がありました。
ちびまる子ちゃんではないですが、コジコジという漫画に次のような先生との会話があります。
先生「勉強が出来なければこの先、生きていけないぞ」
コジコジ「コジコジは死なないよ。だから生きていけるよ」
先生「毎日一体何をしてるんだ」
コジコジ「空を飛んだり、山で遊んでおやつを食べて、寝てるよ」
先生「毎日遊んで寝てるだけじゃないか」
コジコジ「え?悪いの?遊んで食べて寝てちゃだめ?」
先生「将来何になりたいかだけ教えてくれ」
コジコジ「コジコジはコジコジだよ。生まれた時からこの先もずっとコジコジだよ」
何だか禅問答のようですが、これは、心理学でよく言われる「doingモード」と「beingモード」の違いを表しています。(禅もこの考えかたです。)
何かが出来るから自分を認めるではなく、何も出来なくても、自分の存在を認められることですね。いわゆる自己肯定感です。
もし、何かが出来ないと自分を認められないなら、何も出来ない赤ちゃんやお年寄りは、ダメということになってしまうし、もし、今、目の前から、赤ちゃんやお年寄りがいなくなってしまったら悲しいですよね。だから、何も出来なくても、存在しているだけで尊いのです。
また、近年マインドフルネスやセルフ・コンパッションが吃音の治療で用いられてきていますが、どちらも「beingモード」になることが基本になっています。
明石家さんまさんが、自分の娘さんに「いまる」という名前を付けて、その理由が「生きてるだけで、まるもうけ」という話は有名ですが、これと同じことです。
これを吃音にあてはめてみましょうか。
周り「吃音だとこの先、生きていけないぞ」
自分「自分は死なないよ。だから生きていけるよ」
周り「毎日一体何をしてるんだ」
自分「空を飛んだり、山で遊んでおやつを食べて、寝てるよ」
周り「毎日遊んで寝てるだけじゃないか」
自分「え?悪いの?遊んで食べて寝てちゃだめ?」
周り「将来何になりたいかだけ教えてくれ」
自分「自分は自分だよ。生まれた時からこの先もずっと自分だよ」
こんな感じでしょうか。。
実は、カウンセリングで吃音が改善するかたは、多かれ少なかれ、このプロセスを踏んでいます。
さくらももこさんと、インド哲学。
その他「息を吸って吐く!それが生きる道!違う?ジロウ君」
「コジコジは何の役にも立たないよ」
「飛べない時はゆっくり休めばいいじゃん。飛べないんだからさ。」
「どうせ飛べないんなら心配するより休んだ方がいいよ」等、名言ですね。正しく、心理的柔軟性(しなやかな心)です。
「ちびしかくちゃん」は相当ブラックみたいだし「神のちから」も相当不可解らしいです。
どうやらさくらももこさんはインド哲学に精通していたりスピリチュアルなことに詳しかったようで、その辺も影響していたんでしょうね。
こいいう考え方は、心理療法のACT、マインドフルネスやセルフ・コンパッションなど、東洋的思想を感じます。
ちなみに「神のちから」は「ガロ」という蛭子能収も連載していた漫画雑誌に連載されていて、「ガロ」はちびまる子ちゃんを連載していた「りぼん」とは対局にある雑誌です。丸尾、みぎわ、花輪という苗字も実は「ガロ」の執筆作家からの引用らしいです。「コジコジはずっとコジコジ」私達吃音者も吃っていても吃っていなくても、ずっと「自分」なんですね。
吃音の改善には、心理的アプローチからすると「beingモード」は絶対必要条件です。吃音は、対人関係において症状が出ます。独りでは、ほとんどどもりません。
つまり、人との比較や、人からの評価が刺激となって、吃音という反応が出ます。人との比較や、人からの評価は「doingモード」ですね。
だから、マインドフルネスやセルフ・コンパッションのトレーニングをすると、刺激に対する反応が少なくなり、吃音が改善するのです。(他にも理由がありますが)
吃音で悩むかたは、勘違いしておられるかたが多いですが、吃音が改善するから自己肯定感が高まるのではなくて、自己肯定感が高まるから吃音が改善するのです。
では、今日はこの辺で!