水ダウの件と、吃音は個性か?について機能的文脈主義から考える。

Gerd AltmannによるPixabayからの画像
先日、水曜日のダウンタウンで、インスタレスティングたけしさん(以下インたけさん)再び出て話題になっていますね。
私は、今回は見ていないのですが、ネットニュースで大体の内容は分かりました。
それと同時に「吃音は個性か?」についても、SNSで議論されていますね。
それについて機能的文脈主義から書いてみます。。。。と言っても「それって何?」でしょうね。(笑)

私は、ACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)という認知行動療法の一種を使ってカウンセリングをしていますが、
ACTは、行動療法の中の「機能的文脈主義」という哲学が元になっている心理療法で、最先端の行動療法の考え方です。
哲学なので、とても難しく、これを深く学ぶと臨床している時間がなくなってしまうので、私もそれほど深くは勉強していないですが、簡単なところは、このブログをお読みになるとわかると思います。

まず、水曜日のダウンタウンですが、これはインたけさんを先輩芸人が騙して、吃音が出たところを芸人仲間が笑うという構図でした。
それをNPO法人日本吃音協会が抗議して、それに対して一部の吃音者が逆抗議し、テレビでも取り上げられる騒動になりました。
私も一応吃音協会の会員で、多少巻きこまれた感はありますが、なにより一般の会員が肩身の狭い思いをしているのではないかと心配しています。皆さん、吃音者のために頑張っているまじめな人たちなので。。
私は、抗議したことは騒ぎになってから知ったので、意思決定には参加しておりません。
ちなみに、私個人としては、抗議はしない方が良かったと思っていますが、絶対的な正解はないと思っています。
(こんなこと書くと、吃音協会から追い出されるかもしれませんが、笑)

では、まず機能的文脈主義について書いていきます。これについては、分かりやすい動画があったので最後にリンクを貼ります。
「赤鼻のトナカイ」の歌はご存知ですよね。
赤い鼻のトナカイが、自分だけ鼻が赤くて、皆にバカにされると悩んでいると、サンタさんが「暗い夜道ではピカピカのお前の鼻が役に立つのさ」と言います。
鼻が赤いというのは、病気かもしれないとか、遺伝子がおかしいとか、何か問題があるのではないか?と周りは思うでしょう。
こうなってしまったのは、どこかに原因があり、それを分析し、修復、改善しなければならない、これは西洋医学の考え方です。要素的実在主義(機械論)とも言います。
でも、サンタさんは、赤い鼻はそのままで「暗い夜道で役に立つ」という「機能」に注目しています。
つまり、欠点だと思われることを、「文脈」を変えて、役に立つものに変えたわけですね。
赤い鼻という欠点の良し悪しは「状況」によって変わる。そして「文脈」によって変化し、「機能」によって決められる、ということです。
これが「機能的文脈主義」です。
つまり、インたけさんの吃音を活かした芸は、一般的には恥ずかしいものかもしれませんが、お笑いの文脈からすると機能していると言えます。
ダウンタウンの松本さんが、今回の件で「お笑いを勉強して欲しい」と言っていましたが、このことを言っているのでは?と私は思いました。

吃音協会をはじめ、あの番組を見て不快に感じたり抗議した人たちと、面白いと思ったり問題には感じなかった人たちの違いは、この「文脈」が違ったからだと私は思います。

ここで大事なのは「文脈」(環境と言ってもいい)という背景なしでは、お互いを理解することが出来ないということです。

ACTで目指すのは「心理的柔軟性」ですが、言い換えればしなやかな心や相手の立場に立つ想像力とも言えます。
あの人は、これで抗議しているけど、どんな背景(文脈)があるのだろう?
抗議に反対しているけど、どんな気持ちから生まれるんだろう?
と、イメージを働かせること。これは人間の持つ想像力だと思います。(ACTではこれを視点取得と言います)
私のカウンセラーとしての経験からすると、この想像力(視点取得能力)を高めようと努力している人は、吃音の改善が早いように思います。

「吃音は個性か?」についても、その人の文脈から考える必要があると思います。
インたけさんは、お笑いという文脈を作り出すことによって、個性に変えることが出来たと思います。
つまり、個性にするかどうかは、その人が自分で決めて何かしらの「行動」を起こすことによって成り立つもの。
インたけさんは、お笑い芸人になるという「行動」によって、「個性」に出来たのだと思います。
もちろん、これが出来る人と出来ない人がいると思うし、今は出来なくても将来出来るかも知れないので、他人が「吃音は個性だ」と言うのを無理に受け入れる必要はないです。
嫌なものは嫌なので、無理に納得する必要はないです。

最後にちょっと気になったので書きますが、吃音界隈でインたけさんが人気ではありますが、「吃音を知ってもらいたいから」という理由で彼を利用する心理が働いているとすれば、私はちょっと嫌な感じがします。
最終的に大事なのは、芸人としての実力です。吃音を芸として昇華しているかどうかが大事なのであって、それは吃音者だからとかは関係ありません。彼は一人の芸人です。
吃音者の集まりに彼を呼ぶことはあっても、芸人として彼のライブを見に行った人はどれだけいるでしょうか?
そこはちょっと気になります。

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