見ると観るの違い

私のカウンセリングでは、どもった時に身体に何がおこっているのかをみていきます。
吃音の観察ですね。
具体的に言うと「首の周りが絞まっている感じ」とか、「舌が固くなっている」などです。
もちろん、それはどもっている本人にしか分からない身体の反応です。
なーんだ簡単じゃないか!と思われるかもしれませんね。
しかし、そう簡単ではありません。
見方にもいろいろあるからです。


例えば、見ると観るの違いについてですが、
「見る」は、受動的に意識のない状態で見ること。
「観る」は、能動的に意識した状態で観ること。です。
そしてカウンセリング時は、この自分から観ていく姿勢がとても重要になります。
ほとんどの吃音者は、どもっている時に、身体になにがおこっているか?に注意を向けたことはないと思いますし、
仮にそこに注意を向けても、「周りからどう思われるだろうか?」などという
受動的な考えに頭が支配されていて、能動的になにかをするという意識は薄いと思います。

では、どうやって能動的にしていくのか?ですが、
これは吃音だけを切り取って変えていくのは無理があります。
つまり、生きていく上での、ものの見方や感じ方を変えていく必要があるのですね。
普通に考えたらとても大変なことかもしれません。

でも、本来カウンセリングとはそういうものなのです。
「吃音のカウンセリングについて」に書いたように、カウンセリングは、健常者がよりよく生きるために
心の器を大きくしたり、柔軟な考え方やとらわれのない心を作るためのものだからです。
ですから、カウンセリングで吃音が改善した人は「何て余計なことばかり考えていたんだろう」とか
「なんでこんなことで悩んでいたんだろう」と言う人が多いし、それがカウンセリングの成功例なんですね。
心の器が大きくなったので、同じ悩みでも相対的に小さくなったり見方が変わるのですね。
ちなみにカウンセリングの失敗例は「おかげ様で治りました」です。
この段階では、まだ吃音というものにとらわれているからです。
治ったとか治らないとかの次元よりステップアップするのが、私のカウンセリングの目的です。

また、この吃音の観察は、前回の投稿にあった「評価をせずにあるがままを受け入れる」
ことにつながってきます。
観察をしても、それに対して評価をしていては本質が観えてこないからです。
これは絵を観たり、音楽を聴いたりするのにとても似ています。
なんとなく音楽を聞いていたら、良さはなかなか分からないし、
その音楽に対して、先入観があったら本当の意味で聴くことは出来ませんね。
絵を観るときも「これは有名な画家が描いた絵だ」という先入観があると
なんだかいい絵にみえたりします。(笑)
でも、それはそう思わされているのであって、本当に能動的に観た訳ではないですね。
自分の目で観て感じることが大切です。
そして、それが出来てくると、自分の本当の気持ち(無意識)へのアクセスが始まり、変容があり、
吃音の改善が始まります。

そう考えていくと、吃音の観察で能動的、主体的に感じていくことは
自分は本当にそうなのか?とか自分の本音はどうなのか?ということにつながってきます。

私がいたセルプヘルプグループの先輩が「もし、ラーメンが食べたかったのに、どもりそうで
かつ丼を頼んでしまったら、悔しくて泣きながらかつ丼を食うか、そのかつ丼を床に投げつけるべきである」
と言っていました。
それを聞いた当時は「過激なこと言うなぁー」ぐらいにしか思っていなかったのですが、今はよく分かります。
かつ丼は例えであって、本質は自分の心にうそをつくなということです。
自分の本音にうそをついていると、自分が何者か分からなくなったり、自分が見えなくなったりしてきます。
この「悔しくて泣く」感情が、本当の意味で自分を大切にするということではないでしょうか。
また、自分にうそをついていると、吃音の観察はまず出来ません。
吃音の観察は自分を見つめることでもあるからです。



そして、クライアントとカウンセラーの関係で言うと、カウンセラーが自分に正直でないと
カウンセリングは成立しませんし、クライアントは変容しません。
カウンセラーはクライアントのありのままを受容する必要があるのですが、
それが出来なくなってしまうのですね。
これも絵を観たり、音楽を聴いたりすることと本質は同じです。

では、自分に正直になるためにはどうすればいいでしょうか?
一番手っ取り早いのは

自分に正直な人と触れ合う こと 、近くにいること

です。
特にカウンセリングでなくとも、一緒にいるだけでお互いの無意識が反応し
自分を変えることが出来ます。
だから友達は選んだほうがいいです。
この人と一緒にいると希望が持てるな、という人とはなるべく一緒にいたほうがいいし、
嫌な人からは、なるべく離れたほうがいい。
人はいとも簡単に周りから影響される生き物です。

話がずれてしまいましたが、本題に戻すと、
見ると観るの違いは、能動的、主体的に観ているかどうかの違い。
主体的に観るためには、生き方が主体的でなければいけない。
ということになります。



自分の本音や本心を大事にして、やりたいことがあったらやってみる。
言いたいことがあったら言ってみる。
こういう生き方を身に着けてくると、吃音はおのずと改善してくると考えています。











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