吃音の受容か改善か。

受容と改善は矛盾しない。

吃音を受容するのがいいのか、改善や克服を目指したほうがいいのか?
は意見の分かれるところですね。

現状は成人の治療方法は確立していないので、受容する意見のほうが多いような気がします。
ただ、私自身の意見としては、これはどちらも矛盾しないので両方を平行して行っていくのがいいのではと考えています。
吃音は、隠すことによって悪化することが多いので、受け入れることが出来れば改善に向かうことが多いです。
吃音を受け入れる=吃音が改善する。改善するとより吃音も受け入れやすい、という好循環です。

認知行動療法(従来型)は、症状の改善は期待できない。

ただ、通常のカウンセリングや治療では、なかなか受容=改善とはなりません。
受容のしかたにもいろいろあるからです。
最近主流になってきている認知行動療法(CBT)も、周りの反応などへの認知のひずみを修正し、より受容しやすくしていくものです。
吃音の臨床の場合、心理の専門家が少ないので、最近は「低強度認知行動療法」なども行われているようです。
吃音11症例における低強度認知行動療法の有効性
この論文の結語には、「成人の吃音11症例に認知行動療法を施行した.検査上吃音頻度の改善は 得られなかったが,LSAS―J や OA-SES―A の改善からは,認知行動療法は,吃音に併存する社交不安やクライアントが抱える困難の軽快といった効果があることが示唆された.」と示されています。
つまり、社交不安を減らすことは出来るが、吃音頻度はあまり変わらないということです。
(但し、認知行動療法で社交不安を減らしながら、言語訓練をするのは効果があると思います。また、理知的な人、論理的な思考を持っている人は、認知行動療法の効果は高いと思います。)

しかし、不安を減らすだけではなく、吃音自体がもっと軽くなればなぁと思っている人も多いのではないでしょうか。
では、同じ受容でも改善につながる受容とはなんでしょうか?

ありのままを受け入れる。

それは、ありのままの自分を受け入れるということです。

吃音者の場合、ありのままを受け入れるということは、自分は吃音なんだと受け入れることです。
そして、吃音であることについて評価をしないことが大切です。
多くの吃音者は、吃音だから自分はダメだと考えてしまうのですね。
あるがままを受け入れるとは、吃音だからダメなのではなく、ただ「吃音なんだ」で終わらせることです。
最初は難しいのですが、これが出来るようになると、吃音を持つ自分の存在を肯定できるようになります。
ちなみに、これは吃音に限りません。
その人の心の在り方なので、むしろ吃音だけにこだわっていてはなかなかうまくいきません。

私の吃音カウンセリングの先生は「あなたたちは吃音者なのに、どうして吃音者じゃないようにふるまうのですか?」とおっしゃっていました。
自分が自分ではないようにふるまうのって、本当はおかしなことですよね。でも吃音者はそれが当たり前になっています。
「自分はなんて変なことをしていたんだろう、余計なことをしていたな。」と気づくこと。
それが、あるがままであり、本当の意味での受容です。

そして、ここがすごく大事なのですが、
あるがままを受け入れることによって、内面が自然と変わってきます。良い方向へ変化するエネルギーが湧いてきます。
そしてそれが吃音を改善させる力(自然治癒力)となります。
カウンセリングの創始者、カール・ロジャーズは、「奇妙な逆説だが、自分のありのままを受け入れたときに、私は変わることができた」と言っています。

では、どうしたらありのままの自分を受け入れることが出来るのでしょうか?
それはまた次の機会に!


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