人の吃音を治す人は、自分の吃音を治しておく必要がある?
今回のテーマは、吃音の臨床家(カウンセラー、言語聴覚士、医師など)が、自分が吃音当事者だったとして、自身の吃音を治すべきなのか?について書いてみます。
これはちょっとセンシティブな内容かもしれませんね。臨床家であれ、クライアントであれ、皆出来れば治したいと思っているはずだからです。
治したいけど治らない、それでも「困っている吃音者のために臨床家を目指す。」これはとても尊いことであり、絶対に否定されるものではありません。
でもあえて私の考えを述べると、かなり個人的な意見ですが「人の吃音を治すなら、出来るだけ自分の吃音は治しておくべき」だと思います。
ただ、自分の吃音を治せない人が、人の吃音を治せないとは限りません。吃音にもいろいろあるので、その人の治療法が合えば治ることもあるでしょう。
ただ、治せるかどうかは、自分の吃音を治せた人の方が期待は持てるのではないでしょうか?
なぜかと言うと、それは治した「体験」を持っているからです。
理論は大切です。でもそれは机上の論理であり、現場の感覚とは違います。
また、吃音は分からないことがまだかなり多いので、専門家といえど絶対的な正解は出せません。
そして、かなり個人差があるので、その人の吃音に関しては、その人自身が一番の専門家と言ってもいいでしょう。
その人が自分の吃音を治した過程やその感覚を、体系化して他者でも再現出来れば、有効な治療法となり得ると思います。
私が体験した「廣瀬カウンセリング」は、実際多くの吃音者が治ったり、改善しています。
私は「音読」がとても苦手でしたが、今ではほとんどどもらなくなりました。最近はセミナーなどで2時間くらい人前で話しますが、どもりません。
フリートークでは少し出ずらい感じがありますが、今でも改善し続けています。ほぼ治ったと言っていいでしょう。
廣瀬カウンセリングは40年前の技法ですが、今の治療法と比較しても全く遜色なく、むしろ優れていると思います。
もちろんすべての受講者が改善している訳ではないですが、カウンセリングを深く体験している人は、その境地に応じて改善しています。
例えば、受講生からカウンセラーになった人は、割と重い吃音であっても見違えるほどよくなっています。
なぜ、これが知られていないか?については、廣瀬先生が臨床に重点を置き、学術的なアピールをしてこなかったこと。
廣瀬カウンセリング自体が学会と距離を置いていたからです。一般的には、どうしても著名な先生の発言が注目されますからね。
そして大事なのは「自分が治った」ことではなくて「なぜ治ったのか?」が自分で分かっていること、「なんとなく治った」ではなく、プロセスを説明できることがが大切だと思います。
私は、廣瀬カウンセリングで7~8割くらい吃音が改善したと思いますが、残りはここ3年でマインドフルネスやACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)で改善してきました。
では、なぜ改善したのかを、廣瀬カウンセリングとマインドフルネス、ACTの理論から説明しましょう。
まず、大事なのは「考えること」より「感じること」です。言い換えると、「思考」より「身体感覚」や「五感」や「体験」です。
私たちは、吃音に対する知識はネットなどで知ってはいますが、それは知識であって「本質的」なことではありません。
本質が分からないと(頭で分かるのではなく、直感的に分かること)吃音は改善しません。
例えば、学校の授業で歴史で良い点をとった人が、歴史の奥深さを知っているとは限りません。
数学も、方程式を覚えたり、計算が出来たりすることと、数学の本質が分かるとは全く別もものです。
(数学者の岡潔は、数学で一番大切なのは、情緒だと言っていました。これも感じるということですね。)
また、これは聞いた話ですが、宗教を研究している学者が幸福だとは限らないそうです。
これも研究対象としての宗教なので、実際の体験がないからでしょうね。
では、吃音に於いての「思考」とは何か?についてですが、それは主に「予期不安」と「どもった後の後悔」です。
また、人からどう思われるか?も悩むと思いますが、それも「思考」です。
「思考」の働きは「比較」「予測」「思い出して反芻する」だからです。
それに対して、「感じる」とは、「今、ここ」で起こっている、自分の身体の感覚です。
「今ここ」で自分の身体に起こっていることを「感じ」て、それをあるがままに受け止める(評価しない)プロセスがマインドフルネスです。
また、マインドフルネスの要素として「注意集中力」と「コンパッション」があります。
「注意集中力」とは、雑念に囚われず、あることに注意を集中し続ける力。
コンパッションとは「慈悲の心」すなわち、自分や他者への思いやりです。
これらは、ようやく吃音の臨床で取り上げられてきましたが、、まだまだ広まっていません。
これらの要素は、廣瀬カウンセリングとACTやマインドフルネスに共通してあります。
つまり、どもったときは「注意を自分の身体感覚、例えば呼吸などに注意を集中して、予期不安などの思考を弱くすればどもりにくい」ということになります。
ただ、これは言葉でいうのは簡単ですが、実際は難しいです。
でも、筋トレをしたり、絵を描いたりするように、トレーニングしていけば徐々に出来るようになります。
そして、臨床家はその過程を「体験」していて、結果を出している必要がある。そのように思っています。
合理的配慮を求めるのも大事なことだと思いますが、私は配慮を求めなくても、まずは流暢に話せるよろこびを味わっていただきたいと思っていいます。
吃音と違いますが、PCで印刷できないとか添付フアイルが開けないなどで、HELPを求める人に共通しているのは、何故か?という理屈(思考)を強く求めます。私は、理屈(思考)では無く身体で覚えなさいとしか言いません。理屈を何回教えても覚えた事が無いからです。吃音の改善となんとなく似ているように感じました。
コメントありがとうございます。なるほどと思いました。昔、複式簿記を勉強したときに、借方貸方の意味が分からず、つまずきましたが、理屈で考えずに受け入れたらすんなりと覚えたことがあります。
考えることは邪魔することもありますね。