吃音の言い換えはしない方がいいのか?

吃音者にはその人にとって、言いにくい言葉があります。話す前に「これは言いにくいな」と判断すると、とっさに言いやすい言葉を探し出します。
そして、別の言いやすい言葉に言い換えるか、言葉が見つからないときは話すのをやめます。
ほとんどの吃音者はこれを経験していて、私の以前のクライアントさんの中には「言い換えノート」を作って、持ち歩いていた人もいたほどです。

私は最初にカウンセリングを学んだ先生は「言い換え自体は悪いことではない。言い換えをしたことに罪悪感を感じることが問題」と仰っていました。
これは確かにそうだと思います。言い換え自体は、誰にも迷惑をかけておらず、何も悪いことではないからです。
ただ、罪悪感を感じないのは結構難しいでしょうね。そもそも、罪悪感を感じない人は、吃音で悩まない気がします。

一応、専門家の共通した意見としては「話さないくらいなら、言い換えをしても話したほうがよい」「吃音を隠すために、言い換えをするのはあまり良いことではない」だと思います。
「吃音を隠すために、言い換えをするのはあまり良いことではない」」なのは、これをしていると、言い換えを強化したり、話すのをやめることにつながる可能性があるからです。

この問題については、言語聴覚士の黒澤大樹さんのInstagramでよい投稿があります。
中高生以上の吃音に対してですが「場面に合わせて、一つのテクニックとして言い換えを使用するのは構わないと思っています。」
ただ、注意点として「自分が吃音であることを知られないように、吃音を隠すことが言い換えの主な目的だと、言い換えする頻度が増えていき、言い換え出来ない場面や言葉に対する不安が強まるかもしれません。」
また、「どもったり、吃音であることを知られるのは良いが、この場面では流暢に話したいな、と思うとき、一時的に言い換えをするのは構わないと思います。」
まとめとして「一時的なテクニックならあり」なのですが、言い換えは年齢によってポイントがちがう。中高生以上は、注意して使用です。理想が言い換えをしない、現実的には難しい。
以上が投稿内容です。(中学生以下のケースは省いています)

Instagramはこちらをご覧ください。

では、私が用いているACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)の立場から書いてみましょう。
ACTでは、私たちの心理的苦痛のほとんどは、「認知的フュージョン」と「体験の回避」からくると言われています。
「認知的フュージョン」とは、頭に浮かんだ「思考」があたかも現実のように感じてしまうこと。
例えば「吃音なので、私は人より劣っている」という思考が浮かぶと、実際はそんなことはないのに、それが現実だと思えてしまうことです。
現実は、「吃音はあるが人として劣っているわけではない」ですね。
これは怖い映画を見ているときに、映画自体は架空の話なのに、怖く感じるのと同じです。
その時は、映画の話とフュージョンしているわけです。
「体験の回避」とは、嫌な気持ちにならないように、気持ちをコントロールしようとすること。
吃音だったら、恥ずかしい思いをしないで済むように、言い換えをしたり、話さなくなることです。
ところが、ACTでは「体験の回避」をすると、嫌な気持ちは益々大きくなると言われています。
例えば、嫌な気持ちを紛らわすためにお酒を飲む。その時は忘れられるが、お酒がさめればまた思い出し、嫌な気持ちも大きくなるということです。
もちろん、お酒自体は悪いことではなく、それでうまくストレスが解消できればそれでOKです。
ただ、それでうまくいかない場合は「体験の回避」の可能性が強いです。

この「体験の回避」からくる「行動の回避」(嫌な気持ちにならないために、行動をセーブしたりすること)を常にしていると、状況は悪化する可能性は高いと思います。
というのは、吃音の場合、本当にどもるかどうかは、話すときまで分からない訳です。どもるかもしれないし、流暢に話せるかもしれない。
しかし、回避することによって「流暢に話せたかもしれない可能性」を捨ててしまっているのです。
後に残るのは「後悔」や「罪悪感」です。
チャレンジするのは怖いですが、自主的にチャレンジした結果、どもったとしても比較的ダメージは少ないと思います。
吃音を克服するためには、流暢に話せる体験を多く積み、自信をつけることが大切です。そういう意味でも、行動の回避は出来ればしない方がよいです。
ちなみに、私はカウンセリング中は言い換えをしないようにお願いしています。

ただ、多くの専門家が言うように、言い換えをしないとコミュニケーションがとりずらいとか、生活に質が落ちるといった場合には、無理はしない方がよいかと思います。
私の考えとしては、最初は吃音に理解のある人(家族や専門家)の前では言い換えをしないようにして、自信がついてきたら、徐々に社会全体に広げていくのがよいかと思います。

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