「思考」が吃音改善のじゃまをする。
先週の土曜日は、NPO法人日本吃音協会の事務所で、セミナーを行わせていただきました。
なるべく受講者が集まるように、スタッフの方々が親身になって考えてくださり、おかげ様で10人のかたが来てくれました。
来られたかたの中には、お子さんが吃音のかた、遠く長野から来たかた、わざわざ有給休暇を取ってくれたかた、私のグループカウンセリングのメンバー、大学院の博士課程で吃音の研究をされているかたもいらっしゃって、かなりバリエーションに富んだ集まりになりました。
普段のカウンセリングはリモートなので、やはりリアルでお話するのはよいですね!
また、セミナーに何を求めているか?についてお聞きしたところ「吃音を改善したい」というご意見が多かったのも印象的でした。(吃音の改善と告知しましたからね。)
さて、セミナーの内容ですが、ACT(アクセプタンス&コミットメントセラピー)についてでした。
様々なかたがいらっしゃるので、全員に満足のいくお話が出来たかどうか分かりませんが、ぜひご感想を聞かせていただきたいと思います。
今回のブログのタイトル「思考」が吃音改善のじゃまをする、というのは、さっきセミナーの様子を思い出した時に考えました。
セミナーの後半に「手のマインドフルネス」というエクササイズを行いましたが、何をするかと言うと、自分の「手」を5分くらいじっと見るのです。
もちろん、ただ見るのではなく「マインドフル」に見るので、私のガイドに添って見て頂くのですが、ちらっと周りを見たら、見ていないかたもいらっしゃいました。
(これは他のセミナーでも大体一人か二人はいらっしゃいます。)
もちろん、それは自由だし強制されてするものではないので、全然問題はないのですが、こういう場合の心理は、「こんなことやっても意味がないよ」と思っていらっしゃるのではないでしょうか?
これは当然のことで、理屈から言っても、手を見たからと言って吃音が改善することには結び付きませんよね。
実際に手を見ていたかたもきっと半信半疑だっただろうと思います。
ただ、こうして行動に移す前に考えることをACTでは「思考」や「マインド」呼んでいます。
実際に行動する前に、考えて答えを予想するのですね。
これは、人間にしかない思考能力で、これがあるからこそ人間は文明を発達させ豊かになれたとも言えます。
しかし、こと内面の問題となると役に立たない場合が出て来ます。
自分の心理的苦痛を「思考」によってコントロールしたり、予測して解決しようとすると、うまくいかないばかりか、逆に大きくしてしまうのです。
「手のマインドフルネス」を行うとき、「意味がない」と思うのは「過去の経験からくる先入観」だと思います。
本当は、まだ一度のやったことがないのだから何がおこるかは分からないわけです。何かおきるかもしれないし、何もおきないかもしれない。だから「初めて見たように」とお伝えしています。
仮に、過去にやってみて何もおこらなかったとしても「今」なら何かおこるかもしれない。
こういう「決めつけない」姿勢が吃音の改善には必要なのです。
吃音には予期不安がつきものですが、これもある意味「決めつけ」です。
こういう場合はどもるだろうと決めつけてしまうから不安になるわけです。
では、現実はどうか?ですが、「その時になってみなければ分からない」が正解です。
つまり、その時までは不安になる必要などないのに、余計な心配をして症状を自ら重くしているとも言えます。
セミナーで「自ら反応パターンを大きくしている」とお話しましたが、これがその具体例です。
もちろん、それはごく普通のことで、簡単に予期不安や思考を消すことは出来ません。
しかし、マインドフルネスの習得によって「思考」を手放すことは出来ます。
マインドフルネスの様々な有効性は既にエビデンスがありますので、あとは吃音にどう応用するか?の段階に入っています。
というわけで、そのような内容を日本吃音流暢性学会でポスター発表します。
これからの吃音の臨床は「マインドフルネス」「認知行動療法」や「セルフコンパッション」の時代になるでしょう。
ただ、私は学会での発表などしたことがないので、右往左往すると思いますが、皆さんももし来れたら見に来てください。よろしくお願いいたします。
日本吃音・流暢性障害学会第11回大会 採択一覧