なぜ、演技やものまねではどもらないのか?

吃音の不思議として、歌を歌うとき、斉唱(人と一緒に声を出すとき)はどもらないというのがあります。
これは、吃音は内的タイミング障害という説明がされていて、タイミングがとりやすい歌や斉唱は症状が出にくいと言われています。
これは、私もそう思っていて、俳句やラップなど韻をふみやすい言葉も吃音が出にくいですね。
メトロノームに合わせたり、指を折りながら言うとどもりにくいです。
それと、吃音は最初の音が出にくいと思われがちですが、実は最初の音と次の音との流暢性を欠く障害と言われています。
だから、「リンゴ」でどもる人も「り」「ん」「ご」と区切って言えばどもりません。

それとは別に「演技だとどもらない」「ものまねだとどもらない」不思議があります。
それについてはACT(アクセプタンス&コミットメントセラピー)から説明出来る部分があります。

ACTでは「認知的フュージョン」(嫌な考えが頭によぎり、それをあたかも現実のようにとらえてしまう認知の働き)という考え方があり、吃音の場合は予期不安がそれにあたります。
例えば、何かを話そうと思うと、私たちの脳はこれからどうなるかの予測を始めます。
脳はネガティブな記憶を思い出すことが多いので、そのネガティブな記憶と認知的フュージョンしてしまうと、あたかもそれが今起こっている現実のように感じられてしまうのです。
本当の現実は、まだ何も起きていないので実際はどもるかどもらないかはしゃべってみなければ分からないのですが、認知的にどもった体験をしてしまうのですね。
吃音者はこれが当たり前になっています。
そして、その体験に張り付いた恐怖や不安が刺激となり、身体も反応して硬くなり呼吸も止まる。
どもった後は、恥ずかしい気持ちにいっぱいになりますが、これも認知的フュージョンです。
恥ずかしい気持ちにどっぷりと浸かってしまっているからです。

それに対して、演技をしているときやものまねをしているときは、「自分」ではなく「他のだれか」になりきっています。
つまり、「ほかのだれか」に認知的フュージョンしている訳です。
「他のだれか」にフュージョンしているので、どもっているときの嫌な記憶とフュージョンすることができません。
人間は、一度に二つの思考や感情にフュージョンすることはできないのです。
映画を観て、感情移入することもフュージョンなのですが、
悲しい映画を観て悲しい時に、同時に笑うことはできませんよね。

ただ、これで吃音が治る!と思うかもしれませんが、そううまくはいきません。
ずっと演技をしていたり、ものまねを続けることはできないからです。
また、これを長く続けた場合、多分またどもりだすと思います。

でも、ACTには、認知的フュージョンに対して強力な武器があります。
これが「脱フュージョン」です。
これは、ACTのベースとなる学問の、行動分析学や関係フレーム理論で証明されています。

そして、この認知的フュージョンのときは、自分の内面や周りの些細な変化に鈍感になることが分かっています。
つまり、その逆をすればよい訳で、それがマインドフルネスです。

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