一人ではなぜどもらない?

吃音の改善方法には、「直接法」と「間接法」があります。
簡単にいうと「直接法」とは、流暢性形成法など、話すためのテクニックをつかって、吃音の話す面に出てくる症状(ブロック)を抑え込み、外には出ないようにしたりする方法です。
「間接法」とは発話訓練はしないでメンタルに働きかけ、吃音の症状を出ないようにしていくアプローチといえます。
実は、先日あるSNSで直接法を指導しているかたが、間接法を非難している投稿を目にしました。
「なぜ、そんなことをするのか、、、」と悲しい気持ちになりましたが、「自分のしていることが絶対正しい」と思い込んでしまうと、視野が狭くなってしまうのではないでしょうか?

さて、私の行っている吃音のカウンセリングは「間接法」になると思います。
発話訓練は基本的にしません。
なぜしないか?と問われると

「一人ではどもらないから」が答えになります。

(ただ、一人でもどもるかたは少数ですがいらっしゃいます。それについては後で書きます。)
訓練とは「出来ないことを出来るようにすること」です。
吃音者はすでに一人では自由に話すことが出来る。発話機能には何ら問題はないわけです。
つまり、すでに出来ていることをわざわざ訓練する必要はない。という考えです。
勿論、いろんな意見がありますので、これは一つの考え方に過ぎません。

吃音の謎として、
①歌ではどもらない。
②斉唱(複数の人は声をそろえ音読すること)ではどもらない。
③一人ではどもらない。
があります。

これに対して①②に関しては最近は「内的タイミング障害」と言われているようです。
最初の音と次の音との間のタイミングがとりずらい障害があるという説明です。
私もこれは一理あると思っています。
歌やラップ、メトロノームに合わせると症状が出ないからです。

ただ、これだけでは③は説明できません。
私は心理的な立場から説明すると、吃音者はどもった時に周りにどう思われるか気にするので、
②ではどもったとしてもまわりに気づかれにくい、気持ちが楽。
③は周りに人がいないので、どもっても大丈夫=気持ちが楽なのでどもらない。といういことになるかと思います。
条件反射で説明すると、吃音の悩みは対人関係においてのものなので、一人ではどもる条件がないということになります。

したがって吃音のカウンセリングでは、一人で話す時と人がいる時とは自分の心や身体の何が違うのか?を
深く洞察していくことが重要なポイントになります。

これをACT(アクセプタンス&コミットメントセラピー)と立場から説明すると、
過去に吃音で嫌な思いをした、その記憶が「思考」としてあたかも「今」起こっているように感じられるの(刺激)で、その時の吃音の症状が出てしまう(反応)。となります。
(その「思考」に対する対処法は別のブログをお読みください。)

予期不安については、「まだ起こっていないことを予測して、悪い記憶や体験を呼び起こす思考の働き」と言えると思います。

では、少数ですが一人でもどもる人がいるのはどうしてでしょうか?
仮説をたてると、「人は物理的に一人でいるときも完全に一人にはなれない。頭の中には他者が常に存在している」ことになります。
これは、カールロジャーズのカウンセリングを日本に紹介した友田不二夫という心理学者が「真空論」という理論の中で述べています。
「人は一人であっても、頭の中(思考レベル)では常に他者を意識しているので、完全に一人にはなれない(頭の中のおしゃべり)。無条件に受容共感してくれる人がいるとき初めて一人になり、自分の奥深くを見つめることが出来る。」というカウンセリング理論です。いわゆる「傾聴」です。

また、ACTのベースとなる理論「関係フレーム理論」からすると、人は思考によって嫌な体験や恐怖を「派生」させる唯一の生き物なのです。
つまり、一人で音読の練習をしていてたまたまどもってしまった、そしてその体験が過去の人前でどもってしまった嫌な体験と「派生」して繋がってしまった場合、一人でもどもるような条件反射がついてしまうことはありえるのではないかと考えています。
ちなみに、私の経験からするとこのケースはうつ気味のかたが多いです。
うつとはACTの立場からすると「思考」に取り込まれている状態だからですね。

どちらにしても、問題は恐怖を派生させてしまう「思考」にあるわけで、心理的にはそこにアプローチするのが重要です。

(書き終わってから気づいたのですが、同じようなタイトルで以前も書いてましたね。笑
内容は少し変えてますので、お許しくださいませ。)

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