人生の価値の明確化が吃音を改善させる。

UnsplashDaoudi Aissaが撮影した写真

最近は忙しくてブログがなかなか書けませんでしたが、久しぶりに落ち着いてパソコンの前に座っています。
今回は最近とても大事だなと思うようになった「価値の明確化」について書いてみます。

ACT(最新型の認知行動療法)には6つのコアプロセスがあります。

①今、この瞬間との接触
②脱フュージョン
③アクセプタンス
④文脈としての自己
⑤価値
⑥コミットされた行為

言葉が難しいのですが、この6つのコアプロセスを通して「心理的柔軟性」を養うのがACTです。

私は今までの吃音のカウンセリングで、ACTを始める前から①今、この瞬間との接触②脱フュージョン③アクセプタンス④文脈としての自己は漠然と行ってきました。
これは、今までのカウンセリングが見方を変えればACTと共通していたということです。
しかし、⑤価値と⑥コミットされた行為に関しては、行っていませんでした。
なぜかというと、私は今まで認知行動療法を行っていなかったからで⑤と⑥は認知行動療法の行動療法にあたるからですね。

その中の「価値」について説明すると、価値とは自分が本当に求めたいもの、大切なもの、継続的にどう行動したいのか自分の価値をはっきりさせることです。人生のコンパスのようなものです。
(ちなみに、このコンパスに向かって行動するのが⑥のコミットされた行為となります。)

では「価値」とは具体的にどういったものでしょうか?

ACTのテキストにはこう書いてあります。
「価値とは私たちの心の一番奥にある『願い』です。自分は、世界や周りの人、そして自分自身とこんなふうに関わりたい、という希望です。価値とはまた、自分は人生で何を大切にしていきたいか、どのように行動したいか、どんな人になりたいか、どんな良さや強みを伸ばしていきたいか、という希望です。」

ここでACTと従来型の認知行動療法との違いを簡単に説明しましょう。

以下コグラボより引用です。

「ACTの特徴は「思考や感情の扱い方」と「人生のあり方(価値)に着目するところ」の2点です。代表的な認知行動療法の1つである認知療法を例に説明します。

認知療法で思考を扱う場合は、思考の中身の修正・変容を目指します。

例えば、70点のテストが返却された時、「70点も取れている!」と考えれば前向きな気持ちになれるでしょう。しかし同じ70点のテストでも「70点しか取れなかった!」と考えた人はネガティブな気持ちになるはずです。

同じものごとでも、その人に浮かぶ思考によって受け止め方は異なります。「70点しか取れなかった!自分はダメな人間なんだ。」などと過度にネガティブな思考が浮かぶ場合には強い苦痛を感じ、うつ病などの症状を引き起こすこともあります。そんな自分を苦しめる思考に反証したりすることを通して、思考の変容と、それに伴う症状の緩和を目指すのが認知療法です。

認知行動療法についてはこちら▼
https://www.awarefy.com/coglabo/post/cbt

一方で、ACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)が目指すのは「思考や感情をそのままにしておき、その上で自分の人生を豊かにするために主体的に行動していくこと」でしたよね。

ACTでは「70点しか取れなかった!自分はダメな人間なんだ。」という思考が浮かんでも、その中身を修正や変容するのではなく、そのままにしておいて、うまく付き合っていくことを促します。つまり、思考の中身を変えるのではなく、思考そのものとの関わり方や扱い方を変えるのがACTのアプローチです。そして、思考をコントロールするために注ぎ込んでいたエネルギーを自分の人生を豊かにするために使えるよう、サポートしていきます。」



この嫌な思考や感情はそのままにしておくというのがACTの特徴で、これは仏教の人生は苦しみからは逃れられない、(四苦八苦)」という思想からきていると思われます。

でも、苦しみ続けるのは絶対嫌だと思いますよね。(笑) 私も嫌です。


でも、本来「苦しみ」と「苦痛」は違うものなのです。
ACTでは苦しみをなくすのではなく、関わり方を変えることで変容を目指します。
その主な方法が①今、この瞬間との接触や②脱フュージョンなのですが、⑤価値も同様に重要です。

例えば、スキーが好きな人がいたとします。
当然、スキー場に行かないとスキーを楽しむことができません。
そのためには、長時間の渋滞での移動、寒いところへ行く、といった「行動」が必要になります。
通常、長時間の渋滞や寒いところへ行くことは楽しいことでしょうか?
出来れば家の中でラクにしていたい、温かいところにいたいと思いますよね。
でも、スキーという目的があると、それほど苦になりません。
むしろ移動の過程で風景を楽しんだり、目的地を想像してウキウキするかもしれません。
寒くても、ある程度は寒さを楽しめるはすです。

この場合、「スキー」が価値です。
もっと詳しく説明すると「スキーをする」ではなく「スキーを楽しみたい」が価値となります。


UnsplashErik Odiinが撮影した写真


人生嫌なことがあるからと避けていては先に進まないことはありますよね。
これを心理学的には「行動の回避」といいます。

これを吃音にあてはめると「あの人と話したいけど吃音が出そうだから、会うのをやめよう。」となります。
そうすれば、その時は何事もおこらずに過ごせますが、自分の「価値」にうそをついています。
これが進むと自己の不一致という「本当の自分が分からない」状態になっていきます。
自分が何をしたいのか?どんな人生を送りたいのか?が分からなくなるということですね。
つまりACTの「価値」と逆の状態になっていしまいます。

だからこそ「価値」の明確化と、それにコミットされた行為が大事なのです。



私は開業する前に、セルフヘルプグループで吃音のカウンセリングを学びましたが、そこには「価値」や「コミットされた行為」という概念はありませんでした。(ACTではありませんから当然です。しかし、ほかのコアプロセスは共通するものがありました。)
しかし、「価値」や「コミットされた行為」がなかったかというと、実はあったのです。
そのグループでは、自分の吃音の自覚にある一定の目途がついたかたは修了生となり、他の後輩たちの話を聞く側にまわります。そうしているうちに思いやりが芽生え、自分のことよりも周りや他の悩んでいる吃音者の力になりたいと思うようになります。
つまりこれが「価値」で、実際にグループで活動するのが「コミットされた行為」となります。

これを吃音が治ることをゴールにするとうまくいかないことが多いのです。
自分の吃音より、相手のため、他の吃音者のためになることに「価値」をおき、「コミットされた行為」を行うことによって、心理的柔軟性が養われ、結果として吃音が改善される例を沢山見て来ました。
それはつまりACTの理論と一致します。
その場合、吃音の改善はボーナス(副産物)であってゴールではないのです。

また、特に吃音のカウンセリングや治療の場合「価値」をテーマにしたセラピーはほとんどないと言っていいのではないでしょうか。
従来の認知行動療法も思考の修正や変容を目的としているので、そこまでは踏み込まないですし、吃音の治療も、主に流暢に話せるようにするか、受容できるようにするかだと思います。
私は「話す」と言う行為は、内側から沸き上がるものが大切だと考えています。
本当に伝えたいものがあれば、吃音かどうかはあまり気にならないことも多いのではないでしょうか?
本当に伝えたいものは、その人の「価値」と、どれだけ「コミットされた行為」を行動しているか?によって、違ってきますね。
実は、そこが一番大切ではないかと思います。

もちろん「価値」は人それぞれで強制されるものではありません。自分で主体的に見つけていくものです。
人によっては家族と楽しく過ごすことに価値があると言う場合もありますし、スポーツで身体を動かすことに価値を見出す人もいるでしょう。
価値に上下はないので、その人が価値を感じれば何でもよいのです。
ただ長い間「価値」を見失った人が、すぐに見つけられるとは限りませんし、「価値」自体も変化していくでしょう。
最初に書いたように、ACTは自分が本当に求めたいもの、大切なもの、継続的にどう行動したいのか自分の価値をはっきりさせることで、しなやかな心を育て、本来の自分を取り戻すセラピーと言えるでしょう。

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