人間は恐怖を派生させる唯一の動物。関係フレーム理論について。

今回は「関係フレーム理論」について書いてみます。

第三世代の認知行動療法の一つ、ACT(アクセプタンス&コミットメントセラピー)は関係フレーム理論(リレイショナルフレームセオリー)という学問が基礎となっています。(以下RFTと記します)
RFTは、人間の言語と認知に対する、現代的な行動分析学的アプローチです。
人間の言語と認知とよばれる高次の行動に対して、予測と制御を目的とした場合に有効な行動原理を体系化した理論です。

犬は餌を与える前に「ごはん」と言うことを繰り返すと、「ごはん」という言葉に反応し、本物の餌がでてくるかのような振る舞いをします。これは「ごはん」という言葉と餌が条件付けられて学習されていることを表します。
ところが、犬が学習できるのはここまでで、餌を食べたあとのおなかがいっぱいのときに「ごはん」と言っても、条件付けは行われません。


しかし人間はご飯を食べた後でも「ごはん」と言うことを繰り返すと、これが「ごはん」なんだと認識し、「ごはん」という言葉と本物のごはんという条件づけ学習が行われます。
人間はこうして言葉を覚えていくのですが、これは人間だけが持っている能力で、この能力が言語を発展させたと考えられています。
そして言語の発達と共に何がおこるかというと「複合的内包」という認知能力を身に付けます。
これは、例えばAは×である。と学んだとしましょう。
そして、×は→と学んだとします。
するとAは→と思いますね。
実際にはAは→と学んだわけではないのにもかかわらず、学ぶことができる能力、これを関係フレームづけによる学習といいます。
また、Aは→と学べば、→はAという学習も同時に行います。
これを「相互的内包」といいます。こうして一つ学べば複合的に「派生」して認知能力を高めることができます。

ここで大事なのがAと→の関係は、実際には体験していないということが重要です
人間は実際は体験していないのに、「派生」して学習する能力がある生き物なんですね。

もう一つ「刺激機能の変容」というものがあります。
例えば、今まで実際に「ねこ」を見たことがない子供がいたとします。
その子供には「ねこ」という言葉と「ねこの写真」を見て関係フレーム付けが出来ているとします。
そして実際に初めて「ねこ」と遊んだときに爪でひっかかれてしまい、泣きながら「ねこ」から逃げてしまいました。
そして、後になって、母親が「あっ!ねこよ!」と叫んだとしましょう。
そうしたら、この子供は再び泣きながら逃げ出すでしょう。
しかし、これは驚くべきことです。
なぜなら、この子供は「ねこ」という言葉(neko)を恐れる経験は一度もしていないからです。
つまり、関係フレーム付けによって、引っ掻かれる恐怖が「ねこ」という名前へと転移されたわけです。 
この子供の場合、ねこに引っ搔かれた恐怖が「neko]という音声や、ねこの写真にまで変換されたわけです。
ねこに引っ搔かれた恐怖と、nekoという音声と、ねこの写真は物理的な類似性は全くないにもかかわらず、
単なる音声や写真に恐怖感が張り付くことになります。
これが刺激機能の変換です。



これと同じように、広場恐怖症の人がショッピングモールで発作が起きたとき、この人にとってショッピングモールについて話をするということは、ちょうど「ねこ」に引っ掻かれた子供と同じケースと同様にパニックの恐怖と引き起こすきっかけとなります。
そしてこの場合、ショッピングモールに直接関係するもの以外でも、発作がおきそうなことに関係付けられた他の出来事も同じようにパニック発作の恐怖を引き起こすようになってしまいます。
こうしてどんどん関係を広げてしまう(派生してしまう)ため、やがてすべてがパニックの原因となってしまうことになります。

吃音に当てはめると、ある条件で(例えば上司と話す時)吃音が出たとします。
その時の嫌な気持ちは、その上司の前だけのものですが、派生的に他の上司にも当てはまるようになる。
そして、他の上司で吃音が出ると、その人と関係する様々な人に対して刺激機能の変換が行われ、どんどん広がってしまうことになります。

このような望ましくない能力は、人類が言語を獲得してから発達したと考えられています。

確かに、人類は言語によって進化してきました。
これによって、話す、会話する、文を書く、絵を描く、考える、推測する、物思いにふける、計画を立てる、分析する、心配する、空想するなどの能力が得られました。
しかし逆に、嘘をつく、人を操る、悪口を言う、過去のつらい出来事を再体験する、自分と他者を比較、判断、批判することにもなりました。

言葉は人間にとって祝福でもあり、呪詛でもあるのですね。

ACTでは「思考」「考えること」は「ボリュームゼロのおしゃべり」と考えられています。
「頭のなかのおしゃべり」なんですね。

つまり「思考」は「言語」なのです。
(ACTでは、心に浮かぶ映像、音、顔の表情や身振りなども言語といいます。)

ACTでは、「思考」のことを「マインド」と呼びますが、それは分析する、比較する、計画する、想起する、などの複雑な相互認知プロセスのことです。
そして、そのプロセスは人間の「言語」という高機能な記号体系に依存しています。

そうすると「思考」=「言語」ですから、さきほどのRFTの理論からすると、様々な感情や思考が派生的に広がることになります。
おしゃべりがとまらないのと同じですね。

関係フレーム付け自体は、人間の進化を考えた時、優れた能力だと言えます。
人間は言語を組み合わせて精巧な言語ルールを作り出し、社会を調和させる能力を得たのです。
そうして言語ルールによって調節されたルール支配行動は、事象の言語的概念化と概念同士の関係性に大きく基づいています。
つまり、直接的な体験がなくても、事象に対して正確に効果的に反応することが可能なのです。
例えば「20年後の生活のために、今から少しずつ貯金しよう」というルールを作ることが可能です。

ただし、この言語ルールの悪い面は、そのルール以外の環境の変化に対し、鈍感になる傾向もあるということです。
移りゆく環境の変化に対し、変化のたどり方が、他の動物と比べて不正確になります。
つまり、環境が変わっても、感受性が低下し、ずっとそのルールを守り続ける傾向があるのです。

吃音の場合だと、幼少期に吃音を笑われてつらい思いをしたので、社交不安になってしまった。
成人になって、環境が大きく変わり笑われることはほぼなくなったのに、社交不安は消えない、ということはよくありますね。
これも、幼少期の言語ルールが成人になっても、そのまま適用される例だと思います。

関係フレーム付けが発達してくると、他の行動調節を差し置いて関係フレーム付けがその人の中で支配的になってきます。
そして、「今、ここ」の体験に対して柔軟で、注意深く、自発的な行動をするのが難しくなります。

この制御できなくなったモードを、文脈制御に引き戻すのがACTの中心課題です。

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