吃音を治すために頑張ってはいけない。

吃音を治したい努力では、うまくいかないことが多い

吃音を改善する努力は必要かどうか?よく議論になりますが、私は正しい努力は必要だと思います。
では、何か正しい、正しくないか?についてですが、
いつまでも「吃音を治したい」努力では、うまくいかないことが多いです。

以前のクライアントさんで、ありとあらゆる療法を経験したのち、私のカウンセリングを受けたかたがいらっしゃいました。
とてもまじめなかたで、次のカウンセリングまでの練習(主にマインドフルネス)も真面目にするし、カウンセリングにも真剣に取り組まれているかたでした。
しかし、結局辞めてしまわれました。
今は、吃音外来で治療しているようです。(その後の情報で、そこも止めて、また別のところを探しているようです。)

今までカウンセリング上手くいったかたと、上手くいかないかたの違いは何か?
それは、ずっと「吃音を治したい」が目的で、そこからの変化がなかったからだと思っています。

そういうと、「吃音を治したくて来ているのだから、当たり前じゃないか」と思われるかもしれませんね。
確かにそうです。でもいつまでもそれではうまくいかない事が多いです。

それは、「こころの目が開く」とか「心の成長」とか「気づきがある」ことだと思うのです。

頑張るとは「我を張る」こと

吃音を治すために頑張る。この「頑張る」の語源は「我を張る」という説があります。
ということは「自分の」吃音を治すため、ではあまり効果はなく、「我を張らない」方向が良いということになります。
近年、吃音の治療や支援で行われている「マインドフルネス」や「セルフ・コンパッション」は、元々仏教の修行がベースになっていますが、仏教が目指すのは、「我を張らない」ことなので、方向性が一致しています。
これは、別の言い方をすると「自分を世界の中心に置かない」ことですが、これも最新の吃音の治療では「自己注目が強い」と改善の妨げになるので、「外部に注目、注意を向ける」とか「相手に注意を向ける」ことが有効だとされています。
この考えからすると、「自分の吃音を治したい」よりも「人の吃音を治したい」とか「人を援助したい」、だと効果があるという話になりますね。
具体的には、人へ思いやり、悩みへのサポート、になるかと思いますが、廣瀬カウンセリングでも、修了生やカウンセラーになって、援助する側にまわると、自分の悩みが少なくなり、症状も改善するケースを沢山見てきました。私もそうです。

実際、これを実践している人はカウンセリングの効果も高く、早く改善する傾向にあります。
逆に、自分の吃音にとらわれているうちは効果が限定的だと思います。
これを別の言い方をすればいつまでも「自分だけの」吃音を治したい、ではうまくいかない、と言えると思います。

大事なのは、吃音そのものではなく、心の在り方

何度も書いていますが、私のカウンセラーの先生は「いつまでも自分の吃音が一番大事では何も変化はおこらないのです」と仰っていました。
心理学でも「利他性」の効果を検証する分野があるそうです。

私はグループカウンセリングに於いて、これを実践しようと試みていますし、
カウンセリングを受けていないかたも、利他の心を意識すると何か変化があるのでは?と思います。

タイトルに戻りますと、自分だけの吃音を治すために頑張ると、自分の吃音への執着が一層増します。
自分というものを捨てて、外の世界と繋がり、相手とも繋がることを意識すると、自意識は少なくなるので、どもってもどもらなくても、どっちでもよい境地になり、結果として改善してきます。
大事なのは、吃音そのものではなく、自分の「心の在り方」です。

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