「心のおしゃべり」という名の思考

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私は今,ACTという心理療法を学び、カウンセリングに取り入れ始めています。
ACTとはアクセプタンス&コミットメント・セラピーの略で「アクト」と呼ばれています。
マインドフルネスを組み込んだ第三世代の認知行動療法です。
認知行動療法は有名ですが、ACTをご存じのかたは少ないかもしれませんね。
しかし、もう30年も前から開発されていて、科学的に有効性が実証されている心理療法です。
そして最近ACTは吃音の治療にも取り入れ始めていて、私の認識では最新の治療法の一つではないかと思います。
興味のあるかたは、こちらの論文をご覧ください。

成人期の吃音に対するアクセプタンス&
コミットメント・セラピーによる心理・社会的介入の可能性

この論文の要約に「従来の吃音に対する心理・社会的支援では,吃音の流暢性,および二次的症状の改善を同時に行うことは困難であることが示唆された。しかし,近年注目されている ACT による吃音の支援では,流暢性や二次的症状の改善が認められており,改善の効果が期待できる。」(松岡里紗 武藤 崇 2020)とあります。
これはつまり従来の心理的支援(第二世代までの認知行動療法など)では社交不安(二次的症状)は改善するが、吃音の症状に大きな変化は認められない。ACTを用いると、両方の改善が期待できるということだと思います。

これは画期的なことだと思っているので、今までのカウンセリングと両方行っていくことにしています。(といっても実は深いところで繋がっています。それは後で書きます。)

ACTの趣旨は「避けられない痛みは受け入れながら、有意義で豊かな人生を切り拓くこと」です。
多くの西洋心理学は症状の緩和に重点を置いていますが、ACTでは「人生の質を決めるのは、価値に導かれたマインドフルな行動が出来るかどうか。どのような症状をかかえていても、それに対しマインドフルに対応している限り、そのような行動は可能だと考える。」(マインドフルとは自分の気持ち、身体、思考、周りの様子に気付いている状態。)

ここで大事なのは、症状の緩和を目的としていないというところです。
ACTを行うと、結果として症状は緩和されることは多いのですが、それはボーナスのようなものであって、決してゴールではないということです。
症状の緩和をゴールにしてしまうと、返って悪化するケースが多いのですね。
これを吃音に当てはめると、吃音が減少したり不安が減ったりすることはあるが、これはゴールではないということになります。

ACTに対して書き始めると長くなるので、今日は一つだけ重要な点を書きます。
ACTには「観察する自己」と「考える自己」が存在します。
ACTのテキストに次のような話が出て来ます。
「息を吞むような美しい夕焼けを観ると、その一瞬考える自己が沈黙します。思考が消え、ただ静かに素晴らしい夕焼けを観察しているだけです。この黙って意識するというのが、まさに観察する自己が活動している状態です。
しかし、静寂は長くは続きません。すぐに考える自己が騒ぎ始めます。わぁ見て!きれいな色。カメラを持ってくればよかった。ハワイ旅行を思い出すなぁ。など。そして次第に思考に吞み込まれ意識が夕焼けから切り離されていきます。」

UnsplashJason Blackeyeが撮影した写真
これが「観察する自己」と「考える自己」の関係です。
この夕日を何も考えずに見ている状態は「観察する自己」で、これがマインドフルな状態。
それに対して「考える自己」は思考が優位な状態です。
ACTでは「考える自己」は良くも悪くもなく、それにに支配されるのが良くないと考えています。
その状態のことを「頭の中で、絶えず何かをしゃべっている自己」「いつも何かを言わずにはいられない自己」とも言います。


私が学んだ吃音カウンセリングでも似たような表現があります。
小林秀雄の「美をもとめる心」というテキストを使いますが、その中で「頭をはたらかすことより、目をはたらかすことが大事だというのです。」「見ることはしゃべることではない。言葉は目のじゃまになるものです。」「だまって物を見るということは難しいことです。」「美しいものは、諸君をだまらせます。美には、人をちんもくさせる力があるのです。」「なんだすみれの花か、と思った瞬間に、諸君はもう花の形も色も見るのをやめるでしょう。諸君はこころの中でおしゃべりとしたのです。」

いかがでしょうか。
ACTで言う「頭の中で、絶えず何かをしゃべっている自己」
小林秀雄の「諸君はこころの中でおしゃべりをしたのです。」
私はこれは同じ意味だと思っています。
ACTのこの文を読んだとき、私は鳥肌が立ちました。やはり今までのカウンセリングは間違っていなかったと、、。
最近臨床で行われている療法が、30年以上も前から行われていたカウンセリングと通じている。
点と点がむずび付き、線となったような想いです。

ちなみに、心のおしゃべりが悪いというわけではなく、吃音の改善には「観察する自己」が大事だということです。
しかし、これがなかなか難しい。私達は常に思考にはしっているからです。
先述の小林秀雄も「見ることも聞くことも、難しい努力を要する仕事なのです。」と言っています。
そこでACTではマインドフルネスを用いて「観察する自己」は意識的に作るのです。
これは練習なので、誰でも積み重ねれば出来ます。
私はクライアントに毎日マインドフルネスの練習をするように勧めています。

最後に、ACTでは不安との向き合い方を次のように述べています。

「不安が消えてくれるのを願い続けている状態、これは我慢であって受容(アクセプタンス)ではない。
本当の意味で受け入れることができれば、どんなにつらく嫌な気持ちであっても、それに苦しめられることはない。」
これが本質かと思います。

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