チベット仏教の教えを吃音改善に活かす

私は、吃音のカウンセリングをしているわけですが、最近、今のクライアントさん達や
これからカウンセリングを受けたいと言ってくれている人の話を聴いてみると
どうも、吃音を治したいことが目標ではないような気がしています。
「これまでの生き方を見つめなおしたい」と言っている人が、少なからずいらっしゃるのです。
トータルの悩みとしては、吃音の悩み半分、人生についてが半分と言ったところでしょうか。

前にも書いた通り、悩みはより良く生きたいという心の表れですから、
そのかたの内面が変化していらっしゃるのかもしれません。
ここが、臨床とカウンセリングの違いで、臨床は吃音を治すためのものですが、
カウンセリングはもっと幅広く、どう生きるか?にも関わってくるのですね。
ですから、臨床のベースとなる学問は、医学、薬学、統計学などですが、
カウンセリングは、哲学、文化人類学、社会学、宗教学などとなります。
全く違うものです。
その中で、宗教、特にチベット仏教の立場から書いてみたいと思います。

いつもブログで、吃音を改善するには周りへの思いやりが大事だと書いていますが、
ダライラマ法王の教えから、説明してみたいと思います。

友人にダライラマ法王の下で、チベット仏教の修行をしている人がいて、
次の本を進めてくれました。

「運命を好転させる隠された教え チベット仏教入門」

その中の法王のお言葉です。

「目先の苦しみは自分に関係ないように感じますが、我執で自分のことのみを考えて、他者に思いやりを持たないならば
必ず将来、自分の苦しみとして還ってくるのです。
我々人間は社会的動物です。自分のよるべである他者を我執で放り出せば、それは勘違いも甚だしいということです。
例えば、農家の方が畑に肥料を撒いたりして大切にするのは、そこから収穫が上がるからです。
お金を大事にするのは、それに価値があり、利益を得ることが出来るからです。
我々が善行を積んで楽を受けることができる最高の対象は他者です。
それを放り出して、我執で自分だけ幸せになろうとしても、それは叶いません。
我々の幸不幸は、他者に依って成り立っているのです。
他者に対し親切心を持っていどめば、徳を積んで楽が訪れますし、強い我執の自己愛のため、目先のことばかり考えて
他者を傷つけて悪行を積めば、全く望まないにもかかわらず、苦ばかりが訪れることになるのです。
利他の心は巡り巡って自利を実現します。
例えば、自利の為にした布施と利他の為にした布施では、布施をするという所作は同じで、それで積む善根も同じですが
果は全く違います。自分は一人で、他者は無数です。
他者を思う利他の心はすべての楽を生じる根源です。利他の究極は菩提心です。
分別があり智慧のある者なら、菩提心を感想すべきです。そして、空性を観想すべきです。」



前にも書きましたが、心理的な側面から見れば、吃音は自我への執着だと思っています。
独り言でどもる吃音者は少ないし、相手がいるとなぜどもるかと言えば、
相手がいることによって、自我を意識するからです。
犬を相手に話すとどもりませんね。
マインドフルネスがなぜ有効かと言うと、瞑想により自我を意識しない境地を目指すからです。
(これとちょっと似たことは、吃音の臨床でも行われています。)

「我々が善行を積んで楽を受けることができる最高の対象は他者です。」
チベット仏教も大乗仏教なので、他者への思いやり(慈悲)はとても大切にします。
別のブログにも書きましたが、吃音を改善していく人の傾向は、他者への思いやりが芽生えること。
相手の心を感じ取れる人になることです。
当然、最初は自分の吃音を治したいが一番大事なのですが、徐々に周りのことを考えるようになる。
人の話を真剣に聴くようになる。
人の話を真剣に聴くということは、親切心や思いやりとも言えます。
すると、吃音のことよりも大事なことに気付くようになりますから、いつの間にか吃音を忘れていく、となります。

グループカウンセリングでは、その実践をしていくのですが、
話を聴かずに、自分の「思考」にとらわれる人がいます。
私のカウンセリングの先生は、それを「とても失礼なことをしている」と仰っていました。
それを恥ずかしいと思わないといけないと、、。
私も自分の「思考」にはまって、相手の話を聴いていないことは度々ありますから
人の事は言えない訳ですが、少なくとも、これを減らしていけばよい方向にいくと思います。
これが、つまり「マインドフルネス」です。
聴く瞑想と言ってもいいですね。

ところで、話は大きく変わりますが、ある宗教がマスコミで取り上げられていますね。
私はこの問題の根源は、日本人が宗教を学んでいないからだと思っています。
正しい宗教とは何か?が分かっていれば、同時におかしな宗教も分かってくるはずなんですね。
宗教は皆同じととらえていて、違いが分からないから怖いものだと思うのではないでしょうか。
例えば、その宗教はキリスト教系だそうですが、信者に先祖の因縁などの話をするそうです。
宗教のことを知っていれば、キリスト教に「因縁」という教義がないことはすぐに分かります。
世界で宗教に関する知識や興味がないのは、日本くらいで、だからこそ騙されやすいとも言えるでしょうね。
これからは学校でも教えたほうが良いかと思います。

では、また、

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