レレレのおじさんとマインドフルネス
先日Twitterで、漫画の天才バカボンについての投稿があり、レレレのおじさんのことを思い出したので書いてみます。
バカボンについてですが、あの赤塚不二夫の「天才バカボン」のことです。
「これでいいのだ」のセリフは有名ですね。
「バカボン」とは「薄伽梵(バギャボン・バガボン)」=仏教用語でお釈迦様の敬称であり、覚れる者という意味で”Buddha(仏陀、ブッダ)”と同義語です。
バカボンのパパの言葉「これでいいのだ」は”ありのままを受け入れる”という悟りの境地なんですね。
これは、すなわちマインドフルネスです。
マインドフルネスの2大要素の一つ、アクセプタンス(受容)
(得られた情報に対し、批判したり先入観で決めつけたりせず、ありのままに受け止められるようになること。)つまり、「これでいいのだ」ですね。
赤塚不二夫の葬儀での、タモリさんの弔辞が「これでいいのだ」の意味をよく表わしています。
「あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を断ち放たれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち『これでいいのだ』と」。
この「時間は前後関係を断ち放たれて」という言葉の中にも、マインドフルネスの「今ここ」の要素が入っていますね。
さて、タイトルのレレレのおじさんについてですが、
この人のモデルは,お釈迦様の弟子「チューラパンタカ(周利槃徳=しゅりはんどく)」と言われています。
レレレのおじさんは、いつも掃除ばかりしていますが、チューラパンタカがそうだったんですね。
チューラパンタカは、あまり頭の良い修行者ではなく、お釈迦様が教えた聖句を覚えられなかったそうです。
あまりに、頭が悪いので、周りの修行者達からもバカにされ、泣いていたところに
お釈迦様が現れ、このほうきで「ちりを払わん、あかを除かん」と掃除しながら唱えなさいと言われました。
何とか、その言葉を覚え、毎日必死で唱えながら掃除をしました。
そしてついに「真に払い除くべきものは、実は自分の心の中の塵であり埃なのだ」と悟りをひらいたといいます。
カウンセリングでもよく「ありのまま」という言葉を使いますが、
クライアントさんから、次のような質問を受けることがあります。
「ありのままの自分をさらけ出したら、醜い自分が出て来そうだ」と、、。
でも「ありのまま」と「放逸」とは違うのですね。
以前、ミュージシャンの「藤井風」のインタビューの動画を見ていた時に、
「なるべく、ありのままの自分を出すようにしている、でもその為には心のお掃除をしないといけない。それはやっているつもり。」と言っていました。
(ちなみに、私は藤井風の大ファンです。)
これはつまり、レレレのおじさん=チューラパンタカの行いのことですね。
チューラパンタカは、きっと余計なことなど考えずに、必死で言葉を唱えて行動したのでしょう。
マインドフルネスは、思考ではなく、五感を通じて感じることですが、
チューラパンタカは、もともと頭が悪かったので、考えたり覚えることが出来なかった、
でも、掃除をしながら唱えるという行動から、肌で感じるものがあったのだと思います。
これは、掃除をするマインドフルネスと言えますね。
頭で考えるのではなく、必死で行って感じようと努力したところに、悟りを開くことも出来る。
いつも頭で考えてばかりいる現代人も、少し「レレレのおじさん」になってみたらいいと思います。
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