吃音改善に必要な智慧と慈悲。②

次は「慈悲」について書いてみましょう。

近頃はマインドフルネスを組み込んだ認知行動療法が盛んになり、吃音の臨床にも取り入れられています。
マインドフルネスは元々仏教の瞑想を臨床に応用したものですが、マインドフルネスと瞑想は同じものなのでしょうか?
これには、様々な意見があり、仏教界側でも意見が分かれているようですが、概ね道は違っても行きつくところは同じだと言われています。
ただ、臨床や企業の研修なので行われているマインドフルネスに欠けているものがあるとすれば「慈悲」かもしれません。それは一部の仏教関係者から指摘されているようです。

では「慈悲」とはなんでしょうか?
一般的には、「あわれみ情け」、という意味で使われます。
そして仏教では「苦しみを除いて、楽を与えたい」という意味です。
「慈」が苦しみを除いてあげたい。「悲」が喜びを与えたい心なんですね。

そして具体的に、一番分かりやすい慈悲の心は、親の心だと思います。
子供の苦しみを変わってあげたい、自分の事より子供を喜ばせたいという心です。

「慈悲」は「智慧」と共に仏教の根幹であり、また「慈悲」と「智慧」は深くつながっています。
密教には曼荼羅がありますが、金剛界と胎蔵界の二つの曼荼羅は、それぞれ智慧と慈悲を表しています。



ではなぜ吃音の改善に慈悲が必要なのでしょうか?

私は、以前セルプヘルプグループで吃音のカウンセリングを学びましたが、改善していく人を見ていると
ある一定の傾向があると思っていました。
それは「他への思いやりに芽ばえた」人です。
カウンセラーの先生も「いつも自分の吃音が一番大事では、何も変化はないのです。」と仰っていました。
当然、最初は誰しも自分の吃音を治したくて入会するのですが、徐々にそれではダメだと分かってくる。
もっと大切なものがあることに気が付き、他の吃音者(仲間)への思いやりが出てくる。
するとグループカウンセリングの発言も変化してきます。
これをカウンセリングでは「変容」と言います。
(ただ、これは教えられて変わっても意味がありません。内面から沸き上がることが大切です。)

例えば、言友会などの大会で会員の為に一生懸命働いた人が、いつの間にか「変容」していたということもあります。
これも、自分の吃音が一番大事だった境地から脱して、損得を越えて人の為に尽くすことが大切だと分かったからだと思います。
この境地になると、吃音が出るかどうかというよりも、今これを伝えたいという気持ちが上回るので
話すことへの抵抗感はグッと減ってきます。
また、どのような言葉をかければこの人がラクになれるか?とか、喜んでくれるか?に意識がいくので、
自分の吃音の優先順位は下がってきます。
これが「慈悲」の心です。
また、カウンセリングをしていて、一番うれしい時はクライアントさんが変容するとき、
これは、はっきりと分かる時がありますから、変容に出会える時はカウンセリングをしていてよかったと思います。



そして、「智慧」と「慈悲」は切り離せるんものではなく、お互いにつながっています。
「智慧」が高まるから「慈悲」が深くなる、「慈悲」が深くなるから「智慧」が高くなるのですね。

智慧はあるがままを見極める力とも言えますが、本来あるがままをを観るのはかなり難しいことです。
なぜなら私達は世界を、その人独自の色眼鏡で見ているからです。
これは、心理学(NLPやアドラー心理学、認知行動療法、ゲシュタルト療法など)でも言われています。
吃音も物理現象としてだけ見れば、単に言葉が詰まるだけのことですが、私達はそこに様々な意味付けをしていきます。(大概は良くない意味付けですが)

話すことの本質は何?
伝えることの本質は何?
そもそも伝える内容は今のままでいいの?相手のことをどこまで考えてる?寄り添えてる?など、、、。
その本質に近づいてくると、吃音で悩む意味合いが薄れてきます。
その結果、大なり小なり吃音が改善することはよくあることです。

吃音改善のコツは、自分の責めないこと、認めること、愛情を持つことです。
これは、自分の吃音を異物として排除するのではなく、大切な一部として見ていくことにつながります。
そしてそれは、他者への思いやりから生まれてきます。
なぜなら、潜在意識は自分と他人の区別がつかないので、他者への優しい心は、まっすぐに自分に返ってきます。
吃音の改善に大切なことの一つです。





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