吃音改善に必要な智慧と慈悲。①

智慧と慈悲は車の両輪

「智慧」と「慈悲」とは仏教の言葉です。
これは、私のカウンセリングでは重要な柱です。
仏教では、智慧慈悲は車の車輪で、両方の働きで真理が見えてくると言われています。

①では、まず「智慧」について書いてみましょう。

智慧とは、ホンモノを見極める力

「智慧」によく似た言葉に「知恵」があります。
皆さんには「知恵」の方がなじみがあるのではないでしょうか?「智慧」と「知恵」は言葉として調べると、同じような意味になっている場合もありますが、
仏教的には智慧と知恵は違います。
知恵は物事に論理的に的確に判断する働き。
智慧は現象の背後にある道理を見極めること。真理を悟って、人の苦しみや悩みを乗り越える
本質的な智の働きです。
般若心経という有名なお経がありますが、智慧はパーリー語でパンニャ、漢語で般若で、智慧の完成のお経という意味です。


「知恵」は知識を覚えたり、勉強したりすればある程度身につきますが、
「智慧」は、少し専門的に言うと、仏教の六波羅蜜の修行(布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧)の一つで、六波羅蜜を収めて「智慧」が得られると言われています。
これらは本来仏教の修行なので、難しいと言えば難しいのですが、心の働きとして、現代の生活に応用すれば出来ることだと思っています。

六波羅蜜

例えば、布施はお寺にお金を差し出すと思われていますが、本来の意味は
自分の大切なものを人の為に差し上げるということです。
最近よく「手放す」という言葉を耳にしますが、自分が執着している大切なものを人に捧げるという意味ですね。
お金は一番執着しやすいものなのでお布施=お金、になった訳です。
しかし、人に笑顔を見せる和顔施、優しい言葉をかける言辞施、重たい荷物を持ってあげる身施なども立派な布施行です。


持戒は戒律を守ることですが、人として生き方を整えることでもあります。
忍辱は我慢することではなく、あるべき姿にたどり着くまで耐え忍ぶこと。
精進は最善を尽くして努力すること。
禅定は瞑想やマインドフルネスなど心を集中することです。
どうですか?私達の日常でも少しは実践出来そうだし、すでに出来ている人もいるのではないでしょうか。

グループカウンセリングに於ける六波羅蜜の実践

これらは、私のグループカウンセリングでも実践しています。
例えば、グループカウンセリングに於いて相手の話を真剣に聴く時は、自分の貴重な時間を
人に捧げている訳です。これは布施ですが、これを重ねると自分への執着は減ってきます。
吃音は一言で言えば(成人の場合は)自分への執着ですから、これも吃音改善のカギになります。
最近は、吃音から気をそらすと吃音は軽減するという治療も行われているようで、有効性はあるようですが、
気をそらすよりも、もっと本質的なものに気が付く方が効果があると思います。

話し合いをするには、相手に信頼されなければなりませんから、人の道を守り、思いやりのある自分になること、すなわち持戒です。
また、自分事よりも相手の都合を優先し、話を誠実に聴き寄り添うのは忍辱です。
話を聴くことは自分の体験で感じ取った経験が必要で、これは精進です。
相手の話を深く聴くには、自分を深く見つめる修練が必要で、これは禅定です。
そして、相手の為に周りの為にと自我を越えて懸命に考えるところに智慧が生まれてきます。
その結果智慧により、今まで気づかなかったことに気づけたりするのです。


グループカウンセリングの後半は、吃音の時の身体感覚を感じていくのですが、
智慧の働かない状態だと、ただ「どもった」で終わってしまいます。
智慧が働いてくると、言葉にならない微妙な感じが分かるようになります。
これは、例えば絵を観てもただの絵としてしか見られない人と、その絵から様々な感情や感動が
得られる人の違いと同じです。
同じ「どもった」でも、その背後にあるものを深く見られるかどうかです。

智慧が高くなると、気づきも生まれやすくなりますので、新しい発見や柔軟な考え方も出てきます。
この吃音の観察自体がマインドフルネスになっていますので、気づきをあるがままに受け入れる姿勢が
苦しみや悩みを乗り越える力となります。
また、吃音の観察をして、ただここが硬くなっている、だけではなく、その奥にある感情を感じ取っていくことも必要で、それには「慈悲」の要素が必要なのですが、慈悲については②で書きたいと思います。

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