多分そいつ今頃パフェとか食ってるよ。

人は悩みを引きずってしまう。

人間生きていると、職場関係、人間関係、恋愛、SNSなど、悩みは尽きないですよね。
自分は嫌な気持ちを引きずって、ごはんもおいしく食べられないのに、その嫌な相手は、自分の言ったことを忘れて、今頃おいしいものを食べているかもしれない。。

多分そいつ今頃パフェとか食ってるよ.というコミックご存知ですか?

私は以前テレビで知ったのですが、とても面白い!
イラストレーターのjamさんがある人に嫌なことを言われ.考えても無駄だと分かっていてもなかなか頭から離れずに困っていた時に、
友人が「多分そいつ今頃パフェ食ってるよ」と言われて、気持ちがラクになり嫌なことを早く忘れることが出来るようになったそうです。

最初にテレビで見た瞬間「これは心理だな!」と思いました。
jamさんが嫌なことを言われモヤモヤと悩み落ち込んでいる間、その気持ちを作った人は、意外とパフェでも食べてのんびり楽しくやっているのかも知れない。
結局、いつまでも悩んで損しているのは自分だけ。そう思った時に、多分そんな自分が馬鹿らしくなったのだと思います.

このコミックに、吃音を当てはめて言うと、
「あの人相手に吃音で恥ずかしい思いをしてずっと悔やんでたが、その相手は今頃パフェでも食ってるよ。
いつまでも悩んでいる自分がバカバカしい。」ということになりますかね?

どもるかどもらないかは、仕事じゃない。

ちなみに、この本の中で、SNSで「いいね」が少ないと悩んでいる人にかける一言の正解は「それって仕事なの?」でした!
これを吃音に当てはめてみると、仕事でどもるかどうか気が気でない人に対しては「どもるかどもらないかは仕事なの?」ということになりますかね?
もちろん、どもってはいけない職種もあるとは思いますが、大概の場合は、工夫すれば(どうしても言葉が出ない場合は、紙に書いて渡すなど)どもっても仕事にはそれほど支障はなく、求められているのは仕事をきっちりとやることだと思います。
カウンセリングの療法でいえば「森田療法」では、不安でもやるべきことをやることが大事だし、ACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)でも、嫌な思考や感情を持ちながらも、それに支配されずに行動することが大事とされています。

自信なんか、なくてもいい。

話は変わりますが、作者はたまにどうしようもなく自信をなくしてしまうことがあったそうです。
その解決策として「過去に自信を持てた時のことを思い出すといい」と人に言われて、すごく冷静に考えたら、うまくいっていた時でも自信を持てたことがなかったそうです。(笑)
その時に、もともと持っていなかったものをなくしたと思っていた自分がおかしくて笑ってしまったそうなんですね。
自信がなくても、今までなんとかやってこれていたわけです。

私が思うに、この話のポイントは三つ。
①自分を客観視して笑ったこと。
②もともと持ってなかった自信を持っていたと勘違いしていたことに気づいたこと。
③自信なんてなくてもなんとかなると思えたこと。

①は、ある意味他人事のように客観視出来たということ
しかも、それを笑えたということは、嫌なものではなく、そんな自分を受け入れられたということでしょうか。自分の欠点を「受容」出来るのは、とても大切なことです。

実は、私もどもった後におかしくて笑ったことがあります。
ある会社に電話をして、相手の名前が言えず電話口の女性に笑われたのですが、私もおかしくなって、一緒に笑ってしまいました。
今から考えると、そのころから悩まなくなってきた気がします。多分失敗した自分を受容できたのでしょう。

②は、もともと自信がなかった自分の心を自覚出来た。
本当の自分を知ることができると、人は変われるものです。

③自信という言葉も怪しいなと思います。自信があるというのは、自信がないことの裏腹で、無理に鎧を付けているような感じもありますね。
確かに自信がなくても生きていけますよね。本当に大事なのは、「○○出来たから自信がある」と条件を付けるのではなく、無条件に自分を認めて、大切に出来ることです。

カウンセリングの成功例と失敗例。

別の投稿でも書きましたが、カウンセリングには、成功例、失敗例というのがあります。
クライエントさんが言ったことで
A「先生、もう〇〇のことは大丈夫です。」
B「先生、〇〇のことで悩んでた自分は何てバカだったんだろう」

どちらが成功で失敗か分かりますか?

Aが失敗 Bが成功です。

違いは「人として成長しているかどうか?ものの見方が柔軟かどうか?」です。
Aはまだ〇〇を気にしている訳です。○○か○○でないかを気にしている状態です。
Bはもうどちらでもよくて、気にしていた自分がバカらしく見えるのですね。
成人の吃音の場合、気にしなくなれば、結果として症状は軽減します。だから、症状の軽減だけを目的にすると、うまくいきません。
Aの場合は、何かのきっかけで元に戻ることがありますが、Bの場合は、元には戻りません。
吃音の臨床で、再発したり、効果が持続しないことがあるのは、この違いでしょう。心の成長が伴っていないからだと思います。

今まで自分がクライアントだったり、カウンセラーになって、いろんな人を見てきましたが、
カウンセリングが成功した人は「なんて余計なことしていたのか?」「バカなことをしていたなぁ」と言う人が多いですね。

境地を高くすること。

どもりそうになって必死に言い換えの言葉を考えている自分に対して、カウンセリングが成功した人は、「余計なことをしていたな。無駄な時間だったなぁ」という人が多いです。
これは、言い換え自体がいいか悪いかではなくて、そのことを必死で考えていることが無駄だということです。
もっと、悩むべきことは他にあるのではないか?という意味でもあります。

吃音改善の王道は、小手先のテクニックではなく、自らの心をトレーニングして「もっと大事なことに気づくこと」です。
つまり、心の器を大きくして悩みを相対的に小さくしていく。それと、境地を高くして、見晴らしのよいところから最善の道を見出せる力。
吃音を通して、そのような心を身に着ければ、人生がとても豊かになり、吃音に対しても、違った見方が出来るようになります。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です