どもりの自分を認められるか。

吃音者、やはり吃った後は落ち込みますよね。

私も以前は吃って落ち込むことがよくありました。

でも今は事前に緊張したり予期不安が起こることはありますが

吃っても落ち込むことはなくなりました。

先日テレビを見ていて明石家さんまさんが言っていたことが耳に残っていたのでちょっと調べてみました。

さんまさんは絶対に落ち込まないそうです。

その理由は「落ち込む人は自分のことを過大評価しすぎ。人間なんて、今日出来たこと、やったことがすべて」だそうです。

つまり自分で思っている自分と実際の自分とのギャップで、それを見せつけられた時に落ち込むということですね。

これはカウンセリング的にも正しいです。

カウンセリングでは、自分で思っている自分と本当の自分がなるべく一致している方がいいという考えで、それが離れていると問題が起こりやすいと言われています。

人間って意外と自分の事を知らないものです。

いや、自ら知らないように、また見ないようにしているのかも知れません。

自分を知るのはある意味怖いですからね。

私の師である吃音カウンセラーの先生は、私達吃音者に次のようにおっしゃいました。

「あるがままの自分とは、今のどもりの自分なのです。  あなた方はどもりなのです。
どもりのあなた方がどもらないように 振る舞って、何をしようとするのですか?」と。

こう言われたらカチンと来る吃音者は多いでしょうね。

吃音者はどもりの自分は偽りの自分で、 どもりでない自分こそが本来の自分だと思っているでしょうから。

でも、先ほどのさんまさんの言葉を借りると

「人間なんて、今日出来たこと、やったことがすべて」ですから、

仮に吃ることだけにフォーカスするとすれば、吃ったことが現実の自分ということになりますね。

あるがままの自分を見つめることは、まずは吃りの自分を認めることなんですね。

かと言って、それは吃音の改善をあきらめることではありません。

一旦はそこを通る必要があるということです。

今の自分は、人から評価を気にして、自分でも自分に評価を課してがんじがらめな自分なのか?

評価と課題を課さないありのままの自分なのか?

ここに気づくと人生に大きな転機が訪れます。

例えば、カミングアウトすることは勇気がいるし、自分に無理をするような気がしますが、本当は吃りの自分が自分らしく生き、楽になるためにするものだと思います。

実際、カミングアウト出来た人は、吃音の半分以上は山を越えていると言っていいでしょう。

でも、なかなかカミングアウト出来ないのはなぜでしょうか?

それは、プライドにしがみついているからです。

自分の評価を下げたくないという、自己イメージへの執着です。

自分を苦しめているのは、自分なんですね。

また、吃音はなかなか思い通りにならないものですが、それにどう対応するかは、選ぶことが出来ます。

これは吃音に限らずですが、私達はいろんな苦しみに出会います。

それに対して、私達がよくとる態度は

抵抗する、否認する、回避する、無視する、忘れる。

要は、顔を合わせないようにするか、都合の悪いことを追い出すか、どちらかです。

カウンセリングや仏教、マインドフルネスは、第三の道です。

それは「ちゃんと向き合って、仲良くする。」です。

「苦しみに対してやるべきことは、それをよく知ることである。」

とお釈迦様は説かれました。

カウンセリングの中で、吃音時の身体の観察をしますが、

これはその「苦しみに対してよく知る(感じる)こと」になります。

ほとんどの吃音者は、

抵抗する=何とか言おうと力む

回避する=話すことから逃げる

無視する、忘れる=無かったことにするが、潜在意識に蓄積する

の道を選び、向き合って仲良くすることをしていません。

勿論、普段の生活でそれをするのは無理があります。

カウンセリングや理解のある人の前でという、安心安全な場所で行う必要があります。

確かに簡単なことではありませんが、正しい努力をすればしただけの成果はあります。

まだ、この第三の道を知らないかたは、体験してみることをおすすめします。

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