人生は「いま、ここ」にしか存在しない。

「今ここ」に生きる──古今東西に共通する教え

古今東西、哲学や心理学、宗教には共通して「今ここ」に生きる大切さが語られています。
これは、私たちが心穏やかに、そして自分らしく生きるための大きなヒントです。

アドラー心理学について書かれた著書『嫌われる勇気』を読まれた方も多いでしょう。
そこには、

  • 「人生とは連続する刹那である」
  • 「いま、ここに強烈なスポットライトを当てよ」
    という言葉があります。

人生を「線」ではなく「点の連続」としてとらえる

登山を例にすると、頂上だけを目指す人生は「頂上に着いたら本当の人生が始まる」という考え方です。
そうなると、それまでは「仮の人生」になってしまいます。

吃音を抱える方の中には、
「治ったら自分の人生が始まる」
「それまでは我慢の人生」
そう思ってしまう方も少なくありません。
私自身も、長い間そうでした。

でも、アドラー心理学はこう考えます。
人生は一本の線ではなく、「今」という点が連なってできている──と。
だからこそ、「いま、ここ」にこそ価値があるのです。

「強烈なスポットライト」で過去と未来をぼかす

「いま、ここに強烈なスポットライトを当てよ」とは、舞台でスポットライトを浴びている役者のような状態です。
全体を明るくすると、奥まで見えてしまう=過去や未来に意識が向きます。
でも、スポットライトが当たれば、目の前しか見えなくなります。
それが「今に集中する」感覚です。

スティーブ・ジョブズもこう言っています。
「人生は点と点の結びつきだ」
つまり、未来はまだ来ていないし、過去はもう過ぎ去った。私たちが生きられるのは、今この瞬間だけなのです。

「仮の人生」という思い込みから自由になる

吃音があると、どうしても「治ったら幸せになれる」と思ってしまいがちです。
でも、この考え方は、幸せのスタートを未来に先送りしてしまいます。
本当は、たとえ吃音があっても、いまの瞬間の中に豊かさや喜びを見つけることができるはずです。

「いま」を味わう瞬間

スポーツが好きな人はいまこの瞬間を楽しんでいるのではないでしょうか。
また、音楽もそうだと思います。特にジャズやブルースなどのアドリブはそうですね。(私は苦手でしたが。笑)
美味しい食べ物を食べているときもそうですね。心は過去や未来ではなく「いま、ここ」です。

アドラー心理学と仏教の違い

ただ、私の勉強不足かもしれませんが、アドラー心理学は「いま、ここ」を生きる大切さを教えてくれますが、その具体的な方法はあまり示してくれません。
一方で仏教は、瞑想(マインドフルネス)という明確な実践法を教えています。

お釈迦様はこう説きました。

過去は過ぎ去った、未来はまだやって来ない。いま、ここでなすべきことに専念せよ。

ベトナムの僧侶ティク・ナット・ハンもこう語ります。

私たちの本当の住まいは過去にも未来にもありません。それはいま、ここにあります。

「正念」とマインドフルネス

仏教の修行の道である八正道(①正見 ②正思惟 ③正語 ④正業 ⑤正命 ⑥正精進 ⑦正念 ⑧正定)の中で、
「正念」がマインドフルネスにあたります。
「念」という字は「今」の「心」と書きます。つまり「今の心を正しくとらえる」という意味です。

ACTと仏教の共通点

私が行っているACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)も仏教に近い考え方を持っています。
私たちの苦しみの多くは、「過去の後悔」や「未来の不安」から生まれます。
それらは仏教的には「妄想」と呼ばれます。

そして、その妄想から離れるために必要なのは、「現実=いま、ここ」をしっかり見ることです。

「如実に見る」──ぼんやりではなく丁寧に

「あるがままを観察する」という表現は、ときに「ただ眺める」ように誤解されます。
上座部仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老は「如実に見る」と説きます。
私は「穴があくほど見る」「食い入るように見る」と言いたいくらいです。

吃音のカウンセリングでも、症状が出た瞬間の感覚を丁寧に観察する練習をします。
それは「自分を責める」ためではなく、「自分を正しく知る」ためです。
それには、注意集中力が必要になりますが、マインドフルネスの創設者ジョンガバットシン博士は「注意集中力を養うのは、人生のあらゆる問題を解決できる答えを発見するためではありません。むしろ、曇りのない心のレンズをとおして、問題をよりはっきりと見るためなのです。」と言っています。(マインドフルネスストレス低減法 2007)

グループカウンセリングで育つ「ここ」の力

グループカウンセリングでは、相手の話に全神経を向けます。
言葉、感情、表情… その全てを受け取る練習です。
エネルギーを使いますが、これができるようになると吃音が軽くなることがあり、何より人との関係が豊かになります。

日常でできる「いま、ここ」トレーニング

  • 相手の話を最後まで聴く
  • 食事を一口ずつ味わう
  • 食器を洗うときに手の感覚に集中する

こうしたことを少しずつ生活に取り入れてみてください。
「いま、ここ」の感覚が育つと、自分への優しさも増していきます。
吃音があっても、自分の存在を温かく見つめられるようになるはずです。
最後に──小さな一歩からで大丈夫です

もし今、吃音や自分の生き方に悩んでいるとしても、すべてを一度に変える必要はありません。
むしろ、「いま、ここ」をほんの数秒感じるだけで、その瞬間はすでに変わっています。

たとえば、深呼吸をひとつして、息が体に入ってくる感覚に気づくこと。
食べ物を一口、いつもよりゆっくり味わってみること。
話すとき、自分の声や唇の動きに優しく注意を向けること。

そんな小さな一歩が、やがて「いま、ここ」を生きる力になります。
吃音があっても、あなたはもう十分に価値ある存在です。
そしてその価値は、未来のどこかではなく、この瞬間にすでにあります。

今日という一日を、ほんの少しだけ優しい目で見つめながら過ごしてみてください。
その積み重ねが、あなたの人生を静かに、でも確かに変えていきます。

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