吃音への意味付け

今回は何故吃るようになったのか?について書いてみたいと思います。
吃音の原因はまだ分かっておらず、諸説ありますが、
私自身は言葉の乱れが条件反射となって、 吃音となっていくと説明しています。
では言葉の乱れは誰にでもあることですが、何故そこから吃音と吃音にならない人がいるのでしょう?

以下は私の個人的な一つの見方だと思って下さい。
また、遺伝や体質の場合は、当てはまらない場合もあるかもしれません。

私は「吃った事への意味付け」だと思います。
同じ言葉の乱れでもそれに自分がどう意味付けするか?
それは人によって大きく違います。
人はそれぞれ独自のものの見方をしており、同じ出来事にあっても受け止め方はそれぞれ違います。
そして人はそれを自分の都合のいいように意味付けしていくのです。

私を含めて吃音者には共通点があるように思います。
それは自分自身を肯定出来ないということです。
(自分を肯定出来ないから吃音なのか?吃音だから肯定出来ないのか?は難しいですが、、、。)
自分を肯定出来ない→意欲が沸かない→人生の困難に立ち向かいたくない→その為に吃りを理由にしたい、、と。
「そんな事はない。吃りじゃなかったらもっと積極的になれる」という人もいるでしょうが
意識レベルでは本当にそう思っていても、無意識では大変な事は避けたいから吃りのままでいようとか、吃りで悩んでいるからこれ以上は積極的になりたくない。と思っている可能性はあると思います。

例えば何か人生の目標があってチャレンジしたいけど吃音だから躊躇している人は
本当はやれば出来るという可能性をいつまでも残しておきたいので
チャレンジして結果がでるのが怖いのだと思っているかもしれません。。
吃音は確かに重大な悩みかも知れないけど
人生にはもっと重大な問題があって、吃音が治るとそこにいよいよ立ち向かわなければならないのです。
だから今のままの自分でいいと思ってしまうのですね。
変わるのが怖いのです。

崖を飛び越えるのは勇気がいりますが
勇気のない人は30センチの崖も高く感じられて怖くて飛べません。
でも勇気を出して飛んだ人には「なんだ30センチだったのか!」と
実相が見えてきます。

私自身も吃音を理由に様々なチャレンジを避けてきました。
今から思うと、吃音が理由というよりかは、チャレンジして失敗するのが怖かったからだと思います。
私も「きっと何かできる」という可能性を残しておきたかったのですね。

カウンセリングでよく「今を大事に」と言っていますが、
過去にいつまでもこだわっていると今を感じることが出来ないし
今に集中することによって過去への意味付けを変えることが出来ます。

問題を先送りせずに今を精一杯生きれば、例えチャレンジが失敗しても次の道が見えてきます。
そういう生き方を心がけていれば、吃音に対する意味付けもよい方向に変わってくると思います。

(ちなみに、この記事を書いた時と今は多少考えが違っていて、今は吃音は主に遺伝により発吃するが、環境により悪化すると考えています。)

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吃音への意味付け” に対して2件のコメントがあります。

  1. 新藤説子 より:

    行き方に関わって来るのですね。カウンセリングをしていて8割治して、今一歩と言う時に無意識で抵抗するクライアントがいますが、その時は病気を手放しても良いと思ったら又カウンセリングを再開しましょう。と繋がりながらサヨナラします。日常がどうにか過ごせれば良い訳ですからね。貴方の人生❣️

    1. stardust より:

      コメントありがとうございます。
      その人の人生ですからね。
      繋がりながらサヨナラ、いい言葉ですね。

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