子供の心になる

私は吃音カウンセリングで小林秀雄の「美を求める心」」というテキストを使用していますが、
その中で
「知識の浅い、少ししか言葉を持たぬ子供でも、なんでもすぐに頭でわかりたがる大人より
、美しいものに関する経験は、よほど深いかもしれません。
実際、すぐれた芸術家は、大人になってもこどもの心を失っていないものです。」
という文章があります。

先日グループカウンセリングで「例えばペンを見て、ペンだと思ったらもうそれ以上見ることはないね」という話がありました。
実際、私達の生活ではどうでしょうか?普段使っているペンをまじまじと観ることは、多分ないと思います。

私は、私達が物事を認識するのは、「観念」と「実感」と二種類あると思います。
「ペン」と認識するのは「観念」であり、私達が過去の記憶から「ペンとはこういうもので、こういう使い方をするものだ」と認識しているわけです。この認識は一度出来てしまえばあまり変化はしません。
一方「実感」は、使ってみて持ち具合が心地よいな、とか書き心地が良いとか、デザインが美しいとか
色がきれいだとか、つまりその時に感じたことです。
感じることは、訓練によってより深く感じることが出来るようになります。

UnsplashGlen Carrieが撮影した写真



この違いは吃音の改善に於いて重要なポイントとなります。


近頃、なぜマインドフルネスが盛んなのでしょう?

私は「観念」だけで生活していると、生きている実感がなくなるからだと思うのです。
生きていることは、まさに「今」ですから、「今」を感じることの大切さに皆が気づき始めたのではないでしょうか。
アドラー心理学でも、生きることは瞬間瞬間の連続と教えていますね。

それと、この「観念」(概念とも言えますかね)に縛られた生活をしていると、それ以外が見えなくなってしまう恐れがあります。

例えば、私達は椅子を見ると「座るもの」だとすぐに結び付けてしまう。それが絶対だと思ってしまう。
しかし、犬や猫から見たら、椅子は座るのもでしょうか?
椅子を知らない原始人から見たらどう見えるでしょう?
つまり、私達は常に思い込みというフィルターを通して物事を認識しているので、あるがままをみることが出来ないわけです。

UnsplashAllec Gomesが撮影した写真



それは、私達の吃音に対する認識にも当てはまります。
吃音に対して、吃音とはこういうものだという認識があるけれど、
吃音の本質は見えていない訳です。

では、あるがままを分かるにはどうすればいいでしょうか?
それが「感じること」です。

最初の文章に戻ると、子供は知識がないので先入観がない、だからありのままを見る。
実際、子供の絵は素晴らしいですね。感じたままをそのまま描いています。
フォーカシングの投稿でも書きましたが、子供は正直で「感じ」の中で生きています。

カウンセリングでは、この子供の心を取り戻す事が大事だと思っています。
他者に左右されない、自分の感じたことを素直に表現できる事が大事で、吃音の改善にとっても大事です。

私の吃音カウンセリングの先輩が、吃音を「治す」ではなくて「直す」と書いていました。
つまり、心を真っすぐにするという意味ですね。
吃音をカウンセリングで改善した人は、よく「余計なことをしていた、考えていた。」と言うことが多いですが、これは真っすぐでなかったことではないかと思います。
好きなことは好きだと言う。嫌なことも素直に伝える。
分からないことは、分からないと言う。相手の気持ちに真っすぐに向き合う。
こういう生活をしていくと、発話練習などしなくても吃音は自ずから改善してくると思います。
カウンセリングはそのお手伝いをしたり、一緒に取り組んでいくものです。


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