映画「ドライブマイカー」を観て。

アカデミー賞を取るずっと前から見たかったのですが、賞を取って混んでしまって、ようやく昨日観に行きました。

テレビでよく取り上げていたので、大まかなストーリは知ってしましたが、
とても良い映画でした。
若い頃、村上春樹をよく読んでいましたが、小説を読んだ時の、当時のあのなんとも言えないモヤモヤ感と感動を思い出しました。

ここでありきたりの映画評を書いてもつまらないので、吃音とカウンセリングとのつながりについて書きます。
(少しネタバレしますので、お気を付けください。)

まず、吃音についてです。
主演の家福悠介(西島秀俊)は舞台俳優なのですが、広島の演劇祭の演出をすることになります。
そこに出てくる俳優は、日本人、台湾人、韓国人などで、言葉も日本語、英語、韓国語などです。
ひとつの劇が、多言語で進行するわけです。
その役者の中に、韓国人のろうあ者の女性がいます。
多言語だけでなく、手話のセリフもあるのですね。
この韓国人の女性は、この映画の重要な役で、それを手話の演技で表現しています。



私達吃音者は、吃音だから○○出来ないと思い込みがちです。
もちろん、吃音だと出来ないことはかなりあるでしょう。
でも、この多様な言語や手話もある演劇を見ていると、吃音の俳優がいてもいいのではと思いました。
もちろん、どもりながらセリフを言うのもありかと思います。
それも、一つの言語だと解釈すれば、、。
内面が表現できれば、手段は何だっていいのですね。
演劇にせよなんにせよ、成立すればいいわけです。

次に、カウンセリングについてです。
多分、こんなことを考えるのは、私だけかもしれません。(笑)

家福悠介(西島秀俊)はドライバーの渡利みさき(三浦透子)の運転する車に乗って、毎日演劇祭のリハーサルに行くのですが、みさきはほとんどしゃべらないんです。
車という密室の中で、しゃべらない二人。
でも、徐々に家福は心を開いていきます。



カウンセリングには、安心して心を開くことが出来る場所が必要です。
通常は、それがカウンセリングルームとなります。
日常から離れた、特別な場所です。
また、傾聴の場合はカウンセラーはほとんどしゃべりません。
ひたすらに、クライアントの話に耳を傾けて、否定したりアドバイスしないのが傾聴カウンセリングです。

これで何かおきるかと言うと、クライアントが「一人」になるのです。
ロジャーズのカウンセリングを日本に持ち込んだ、友田不二夫は「真空論」で
人は物理的に一人でいても、頭の中には他者がいて、本当の意味では一人になっていない。
傍らに、自分に受容や共感をしてくれる人がいて、始めて人は一人になることができ、自分を深く見つめることが出来る。と言っています。

つまり、家福は、自分の気に入った車(サーブ)の中で、運転はうまいが、自分に対して否定したりアドバイスせずに、ただ話を聴いてくれるみさきはカウンセラーの役割をしたことになるのではないでしょうか?
自分で運転するこのにこだわっていた家福が、信頼して運転を任せたことも、カウンセリングで言う「ラポール」(信頼関係)が出来てきたとも言えますね。
もちろん、この二人にそんな意識はなかったと思うのですが、もしかしたら村上春樹は、本能的にそのことに気づいていたのかもしれません。

そして、この映画には、カウンセリングで重要だとされるいくつかのポイントがあります。
それは「本当の自分を知ること」です。
映画の中で、高槻という若い俳優が、次のようなセリフを言います。
「自分自身の心であれば、努力さえすれば、努力しただけしっかり覗き込むことはできるはずです。ですから結局のところ僕らがやらなくちゃならないのは、自分の心と上手に正直に折り合いをつけていくことじゃないでしょうか。本当に他人を見たいと望むなら、自分自身を深くまっすぐ見つめるしかないんです。僕はそう思います」
これはカウンセラーにとってとても重要なことだと思います。
特に「本当に他人を見たいと望むなら、自分自身を深くまっすぐ見つめるしかないんです。」は、専門的に言うと「一致」といって、カウンセラーが自分の心を深く正直に見つめていることです。
カウンセラーが分かっている自分自身と本当の自分が一致していることが重要で、
一致していないカウンセラーがいくら受容や共感をしても、偽物となってしまうとロジャースは言っています。

多分、この映画のテーマは、家福が自分の心を見つめられるようになることなのだと思います。
映画の後半で「僕は正しく傷つくべきだった」というセリフがあります。
自分の心に目をむけ、つらいことをつらいと自覚し、ときには人に委ね、それらを繰り返しながら、この先も生きていくという境地になったのではないでしょうか?

自分の心の声を正しく聞くことと、相手のことを深く分かることは、実はつながっているのかもしれません。
それが、カウンセリングの本質であり、吃音の改善もその延長線上にあると思うのです。

ドライブマイカー、ぜひご覧ください!





映画「ドライブマイカー」を観て。” に対して2件のコメントがあります。

  1. 幽玄 より:

    私は2月中旬に家内と一緒に見ました。
    馬田さんも書いておられるように、「自分の感情を素直に認めずに下手に繕おうとすることは、却って問題を複雑にし肥大化させてしまう」というところがテーマかなと思いました。

    「傍らに、自分に受容や共感をしてくれる人がいて、始めて人は一人になることができ、自分を深く見つめることが出来る」とのことですが、カウンセリング向きの人とそうでない人に分かれると思いました。共感を求める女性脳的な人は、カウンセリングが非常に有効かもしれないですね。
    私の場合は全く逆で、人生において共感を欲したことは一度もありません。極端な男性脳で、自分を深く見つめることも得意で、論理的に深く分析することにより様々な問題を解決してきましたので、一番カウンセリングがやりにくいタイプだと思います。(笑)

    私も吃音改善のブログを書いておりますが、共感という視点からのアプローチが必要な吃音者に対してどう対応するかが課題であることを認識させて戴きました。
    どうもありがとうございました。

    1. stardust より:

      幽玄さん。コメントありがとうございます。
      出来れば、幽玄さんをカウンセリングしたくないですね。(笑)
      受容と共感をするカウンセリングは、日本では盛んですが、本場アメリカではあまり行われていないようです。
      時間がかかるからです。
      自分を深く見つめるのには、時間もエネルギーもかかりますので、
      人によっては、何十年もかかる場合もあるかもしれません。
      論理的なかたには、論理療法が向いていますが、幽玄さんは自分で論理を組み立てられるのでしょうね。
      ただ、自分が出来ることが人も出来るとは限らないわけで
      自分と違うタイプにどう分かってもらうか?がカウンセリングの難しいところです。

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